宮下瞳騎手復帰のインパクト

2016年07月15日(金) 18:00


◆第2段階にある日本の女性騎手の活躍

 今週の地方競馬的なビッグニュースといえば、宮下瞳さんの騎手免許試験合格だろう(発表は現在の本名である小山瞳)。

 とはいえ、本サイト『ノンフィクションファイル』3月10付インタビューでは、すでに騎手復帰への意欲が語られており、さらにその後、東海地区の競馬専門紙『競馬エース』の自身のコラムでも一次試験に合格したことが報告されていた。それゆえもはや騎手復帰はほとんど既成事実のようになっていて、今回の合格発表はもはやお上による追認という感じすらあった。

 今や日本の有名スポーツ選手でも、結婚・出産ののちに現役復帰するという例はそれほどめずらしいことではなくなってきている。しかし他のスポーツと較べて命の危険がともなう可能性がきわめて高い騎手ということでは、もうこれは尊敬に値するというほかない。

 日本の女性騎手の活躍ということでは、今は第2段階にある。

 その第1段階は、JRAで初めて女性騎手が誕生(1996年)したあとのこと。ちなみに宮下瞳さんはその前年、1995年のデビューだった。1997〜2000年に大分県・中津競馬場(2001年に廃止)で行われた女性騎手招待競走・卑弥呼杯はおおいに盛り上がった。当初は地方の女性騎手だけで行われていたものが、1999年にはJRAから細江純子さんが出場、2000年には牧原(現姓・増沢)由貴子さんが出場し、総合優勝を果たしている。

 たしか当時、地方競馬だけでも20名近くの女性騎手が現役だった時期があった。とはいえ、レースを見ていて危なっかしいレベルの子も少なくなかったのは事実。現役女性騎手が多かったこともあり、当時の女性騎手招待競走は、いわば女性騎手の選抜戦でもあった。

 しかしその後、女性騎手の数は徐々に減少し、女性騎手同士の招待競走が行われたのは、2011年に盛岡、荒尾、福山で行われたレディースジョッキーズシリーズが最後。そのときはJRAの増沢由貴子騎手も入れて、わずか6名による争いだった。

 数が少なくなったとはいえ、今現役として残っているのはそれなりのレベルにある女性騎手ばかり。その中でも、昨年の成績でいえば別府真衣(高知)、木之前葵(名古屋)、岩永千明(佐賀)の3名は年間50勝以上をマークした。男性騎手に混じってリーディングの上位にランクされる女性騎手がいるというのが、女性騎手が活躍する現状の第2段階だ。

 宮下瞳さんの地方通算勝利数は626。昨年まで、この女性騎手による地方競馬の勝利数記録は、別府真衣騎手によって近いうちに塗り替えられるものと誰もが考えていた。そして別府騎手はつい先日、7月9日に地方通算600勝を達成。記録更新がいよいよあと20勝ほどのところまで迫ったところで、宮下瞳さんの復帰が決まったというのは、そのままドラマにでもなりそうなほどに、話として出来すぎている。

 ちなみに宮下瞳さんは、2011年まで韓国で短期免許で騎乗したあとに引退。韓国では56勝を挙げているので、それも合わせると通算では682勝。別府騎手も韓国で13勝を挙げていて、それも合わせると7月14日現在で通算614勝。

 かつては女性だからというだけで注目されることが多かった女性騎手だが、今後は女性も男性もない、単に“騎手"という土俵での活躍が期待される。

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斎藤修

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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