佐藤哲三元騎手に聞く『なぜ騎手はペースが遅いとわかった瞬間に動けない?』

2017年06月03日(土) 18:01

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▲佐藤哲三氏が日本ダービーを騎手目線で解説(レース写真:下野雄規)

今年の日本ダービーは、横山典弘騎手が演出した“歴史的スローペース”から、後方14番手に控えていたルメール騎手が一気に位置取りを押し上げる特異な展開に。果敢な仕掛けに12万人の観衆がどよめくも見事にそのまま押し切り、レイデオロが7015頭の頂点に輝いた。ファンからはルメール騎手の好騎乗に称賛の声が集まる一方、同様に仕掛けなかった騎手たちには疑問の声が相次ぎ、騎乗の真意が伝わっていない様子。騎手にしかわからない“動くに動けない”心理とは? レース回顧と併せて佐藤哲三元騎手が解説する。(構成:赤見千尋)


ルメール騎手の上手さが際立ったレース

 今年のダービーについてですが、まずは勝ったレイデオロは強かったと思います。かなりのスローペースで特異な展開になりましたが、ルメール騎手は攻めるポイントを熟知していて、スローになったと判断して向正面で動きました。

 動いたことは見た目にわかりやすいので、そこが勝敗を分けたように感じるかもしれませんが、途中で動いたからといって勝てるわけではないんです。もしルメール騎手ではない騎手が乗って同じ競馬をしたとしたら、負けている可能性もあると思います。そこが、ルメール騎手のすごいところです。

 一番感じるのは、馬乗りの基本的なことですけど、抑え方が違うんです。道中いつでも動けるような態勢を作っている。だから瞬時に上がって行けるし、一度上げたペースを楽に減速することもできる。現在日本では、『瞬発力は溜めて求めるもの』という考えの人が多い中で、ルメール騎手は『瞬発力を発揮させるために馬を抑える』という考え方はしていないんじゃないでしょうか。オリビエ・ペリエ騎手(フランス)もそうですけど、引っ掛かる馬でも他の人が乗る以上に前に行かせながら折り合いをつけることができる。他の人たちよりも『引っ掛かる』という感性がないように感じますし、切れ味に頼り過ぎない乗り方を普段からしていますよね。

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▲「もしルメールではない騎手が乗って同じ競馬をしたとしたら、負けている可能性も」

 2着だった四位騎手(スワーヴリチャード)は、“動かない”という選択をした上でしっかり着順を取りました。4コーナーまでシミュレーション通りで完璧だったんじゃないでしょうか。ただ1点、ここもルメール騎手の上手さが発揮されたところですが、直線の立ち上がりで逃げている典さん(横山典弘騎手・マイスタイル)に馬体を併せに行かず、4馬身くらい外に出しましたよね。四位騎手はさらに外に振られて、そこから馬が内に戻ろうともたれるようになってしまった。直線はもたれるのを直しながら追っていたので、あそこは大きかったと思います。

 実際馬場もそこまで悪くなかったし、距離損も考えて典さんに併せに行ってもおかしくない場面でした。直線が長い分、馬やラチに併せていった方が追いやすい中で、ルメール騎手にはそこを離しても動かせる自信があった。後ろから来る馬のことを考えて、あそこまで出す余裕があったんです。

 レイデオロはパドックからエキサイトしていましたし、返し馬もけっこう入れ込んでいてギリギリに見えました。その中で、向正面で動き、4コーナーで外に出しながら回るということを難なくやって見せた。これはもう本当にすごいと思いますし、自分が馬に頼らずに、“馬がジョッキーに頼るような騎乗”ですよね。

 一概には言えませんが、馬に頼る乗り方というのは、例えば“前の馬の後ろにつけることでしか折り合いがつけられない状態”だと考えています。もちろんそれが基本的な技術になるのですが、その方法だけに頼っていては今回のようなレースで対応できません。その点でルメール騎手はどんな展開になっても馬に『僕に頼れ』って言うことができる。日本ダービーはそこが大きく出たレースだったと思います。

“歴史的スローペース”の裏に

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▲“前半1000m63秒2”というペースの裏にある横山典弘騎手の凄み

 歴史的スローペースになった要因はいくつか考えられますが、年々そう思うのが、4,5番手差し切り、直線33秒、34秒台前半で差し切り、という同じ形で勝ってきた馬が揃い過ぎたかな、というのがありますね。

 そして逃げた典さんの術中に、周りが、特に若いジョッキーたちがハマってしまった。典さんが逃げようとした時、ポイントになるだろうと考えたのは、おそらく松若騎手(アメリカズカップ)、藤岡佑介騎手(クリンチャー)、丹内騎手(トラスト)の3人だったんじゃないかと思います。

 スタートを切ると、内の松若が出遅れた。近くにいる佑介は追っているけどダッシュがつかない、唯一並んで来た丹内は、自分のペースに合わせて早々に抑え始めている。そうなれば減速して息を入れさせますよね。横を見なくても他の馬たちの様子、ジョッキーの心理がすぐにわかるところが典さんのすごいところです。ダービーという大舞台で逃げて、周りを自分に合わせさせる乗り方がいとも簡単にできるのは、普段からの心がけと経験が大きいと思います。

動くに動けなかった馬たち

 スローになったと判断したら、なぜルメール騎手のように動かなかったのか? 馬群の内側にいて物理的に動けなかった馬たち、それから、僕はサトノアーサーを本命にしていたんですけど、サトノアーサーのように、これまでダービーで結果を出すために折り合いにこだわって直線勝負を続けて来た馬というのは、ずっと積み重ねて来たものを本番で放棄するのは難しいことだと思います。そういう馬たちを除いて、僕はルメール騎手と戸崎騎手以外にも動けたジョッキーはいたと思うんです。

 松山騎手(アルアイン)にしてみれば、綺麗に1コーナーを入り過ぎて、動くに動けなくなったんじゃないかなと推察しています。皐月賞馬である程度人気もありましたし、典さんを叩いてハナに行く馬でもない、というのを典さんに見透かされて、壁に使われてしまったなと。例えば、1コーナーに入るまでに、『好きなようにはさせませんよ』っていうプレッシャーがかけられれば、また違った展開になったと思うんですけど、ダービーという大舞台で、ミスできないと考えた結果、今はああいう風になってしまったのかなと。

 後からなら何とでも言えますけど、力のある馬ですし、どこかで隙を見て動いて行けたら5着より前に来られたんじゃないかと思っているんじゃないでしょうか。ただ、あの状況で動くとなったらもっと経験が必要でしょう。今回ものすごく貴重な経験をしましたし、今後さらに伸びて来るジョッキーだと思います。それに、こういう消極的なレースをすると叩かれるよっていうのも、プレッシャーがあっていいんじゃないですかね。

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▲松山弘平騎手に「今回ものすごく貴重な経験をしましたし、今後さらに伸びて来るジョッキーだと思います」

 松若騎手は今回初めてのダービーでしたし、スタートを出せなかったことで悔しくて騎乗技術を磨くと思います。普段出遅れるジョッキーではないですし、今回のダービーですべて終わりではないですから。同じ失敗を繰り返していたらダメだけど、ファンの方々には、『なんだよ、こいつ』と思ってたジョッキーが、乗り方が変わって来たなとか、最近同じミスしなくなったなとか、そういう意味で注目してプレッシャーをかけて欲しいなと思いますね。

道中で動くためには

 日本のジョッキー、外国のジョッキーと一括りに言われますけど、それは違うと思います。日本のジョッキーも、いつでも動き出しができるよう準備しているジョッキーもたくさんいますから。

 例えば典さんや(武)豊さんは、無駄な作業をしなくても馬をコントロールできる人たちです。途中で動いても減速したい時にスムーズにできるなら、動くことは可能なんですよ。減速させたい時にすぐにニュートラルにできるのか、一回抑えてスピードを殺して、もう一回前に持っていくっていう無駄な作業をしなきゃいけないのかって全然違うと思うんです。そこができないから途中で動けない。だってスタートしてすぐに折り合いをつけるために引っ張って抑えたのに、スローになったからって上がって行って、また減速しようと思ったら引っ張って抑える…、そうなったら相当な力を使いますから。

 こういうことは、普段から意識しないとできないことです。馬の後ろにつけて折り合いをつけるのは基本ですけど、それだけで折り合いをつけようとするのは、僕は楽をしていると感じます。これはもう、騎乗技術というより考え方、乗り方ですよね。今回のダービーは悔しい想いをしたジョッキーが多かったと思いますが、その悔しさは今後の糧になりますから、また来年、今度はどんなドラマを見せてくれるのかとても楽しみにしています。

元JRA騎手 佐藤哲三
(文中敬称略)

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