【矢野貴之騎手(1)】現役続行か引退か…高崎廃止に出した答え「大井だったら行きます!」

2018年04月02日(月) 18:01

TCK

▲大井競馬(TCK)に所属するトップジョッキーの素顔に迫る新連載。初回は矢野貴之騎手を特集!(撮影:榎本良平)

『俺たちTCKジョッキーズ』と題した隔月連載。トップバッターは昨年、初めて南関東リーディングに輝いた矢野貴之騎手(33歳)。インタビューを全3回に分けてお送りします。若くしてトップジョッキーに登り詰めたように見える矢野騎手ですが、デビューした高崎競馬は騎手3年目の大晦日に廃止。移籍したTCKではなかなか環境に馴染めず苦労したといいます。第1回目は自宅に大量にあった「ある物」を使って、騎手になるのを反対していた父を説得した話や、「怖さでは不動の4番(笑)」というJRA・丸山元気騎手のお父様とのエピソードをご紹介します。(構成:大恵陽子)


日用品の卸問屋の息子が騎手に

――今回は多くの方に矢野騎手の素顔を知っていただこうと思っています。よろしくお願いします。まずは、騎手になったきっかけから教えていただけますか?

矢野 群馬県出身だけど、当時は高崎に競馬場があること自体知らなかったんです。隣町に住んでいたんですけどね(笑)。兄貴がテレビで競馬を見ていたり、ダビスタが流行っていた延長線でJRAの競馬を見るようになりました。サイレンススズカが大好きで、ユタカさん(武豊騎手)に憧れて「ジョッキーになりてぇな」って。でも、親父に猛反対されたんですよね。「コネがないお前がジョッキーになれるのか」って(苦笑)。オカンからは「行動で示さないとお父さんは納得してくれないよ」と。それで、体重が重たかったので毎朝、部活の朝練に行く前にサランラップを腹に巻いてサウナスーツを着て走っていました。

 親父が日用品の卸問屋をしていて、サランラップだけは家にいっぱいあったのを勝手に使って(笑)。そんな時、たまたま知人を介して、のちの師匠になる丸山務調教師と知り合い、「うちで試験受けてみないか」って言われたのが嬉しくて、地方競馬教養センターの試験を受けました。

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▲「親父が日用品の卸問屋をしていて、家に大量にあったサランラップを勝手に腹に巻いて走ってました(笑)」

――地方競馬教養センターに入ってみて、いかがでしたか?

矢野 もう馬のことは何も知らなかったから、入った頃はついていくのがやっとって感じでした。親方(丸山調教師)も「学校入る前に馬に乗るな。まっさらな状態で学校に行った方が、ちゃんと上手く教えてくれるから」って。それがよかったのかな。変な知恵がついてから行ったんじゃ反抗心みたいなのが生まれたかもしれないですから。とはいえ、同期には馬に乗ったことがあったり、下乗りしてて追い切りにバンバン乗っていた人もいたから「こんなんでやっていけんのか?」って思ったけど。同期にはTCKだと有年淳とか和田譲治とかがいますね。

――2002年4月に高崎競馬場で待望のデビューを迎えました。いかがでしたか?

矢野 ハッキリ言って覚えていないんです。あの頃は流れが分からないし、特に考えずただ競馬に乗っているだけでした。先輩が怖くてびびって競馬に乗っていましたね。兄弟子(丸山侯彦騎手)が一番怖かったです。丸山元気(JRA騎手)の親父が俺の兄弟子なんですよ。今でもたまに連絡が来ますけど、怖さでは今でもあの人が不動の4番(笑)。兄弟子を追い越そうと思って、今まで頑張ってきたのもありますし、今でもそうです。

 ちょっと前に連絡が来て、「ホントお前と(丸山)元気のレースを見てると、頭くる。下手ばっかして」って言われちゃいました。出る杭はホント打ってくれるので、おかげで調子に乗ることもなくこれたかなって思います。

――高崎競馬がなくなった今でも兄弟子との関係は変わらないんですね。当時、馬に乗ることに関しては何かアドバイスを受けましたか?

矢野 俺は若かったからよく遊んでいて…競馬云々というよりも、攻め馬に来ないとか寝坊するとか高崎の時はしょっちゅうで、よく怒られていました。今はね、今はさすがにそんなことできないですけど。馬乗りのことも言われてたんでしょうけど、当時は若くて、もっと上手くなろうって気もあんまりなかったので覚えていないです。勝てなくてもそこまで悩むことはなかったですね。

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▲リーディング騎手の意外な過去「当時は若くて、もっと上手くなろうって気もあんまりなかったですね」

――想像していた矢野騎手のイメージと違ってビックリです。若い頃は意外と競馬に対して真面目じゃなかったんですね。とはいえ、毎年20勝以上を挙げ、デビュー3年目には重賞・奥利根賞をエフケーアニカで制覇されました。

矢野 えーっと…それが重賞だっていうのをこっちに来てから知りました。そういう感じです(笑)。そのレースの後、同じ馬で北関東菊花賞をアタマ差で2着だったんですが、その悔しさはすごく覚えています。周りからも「もう少しでクラシックジョッキーだったな」って言われました。

――北関東菊花賞から約2カ月後に高崎競馬が廃止になってしまいました。当時はどんな雰囲気でしたか?

矢野 デビューした時から「危ないんじゃないか」とはずっと言われてて、2年目くらいで賞金も減りました。ヤバい雰囲気はすごい感じてたんですけど、まさか本当に潰れるとは思っていなかったです。よく先輩ジョッキーが県庁に話をしに行っていたんですが、「もうたぶんダメだろ」って言っていました。

――2004年の大晦日に高崎競馬の幕が閉じられました。TCKへの移籍はすぐに決まったんですか?

矢野 現役を続けるか、違う仕事に就くかを聞かれて「大井だったら行きます!」って偉そうな感じで言っていたんです。でも心の中では「高崎が潰れたら、俺ジョッキー終わりだわ。まぁ、いっか別に」と。そうしたら、若かったので大井に行けるって話がわりかし早い段階で決まりました。現役を続けられたのは現在調教師になった浦和の水野貴史さんなど2〜3人だけだったと思います。

※次回の掲載は4月9日(月)18時予定です


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▲パドック東側に設置される『TWINくるくるファンタジー』

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▲ウマイルスクエアに設置される『ウマイルミスクリーン』

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TCK取材班

大井競馬に所属するジョッキーの取材を担当。TCK(東京シティ競馬)・大井競馬場の魅力を余すことなくお届けします!

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