紅一点の新入生の父はクレバーで「ジェットコースターの騎手人生」

2018年04月05日(木) 12:00


 先日、JRA競馬学校騎手課程の入学式が行われ、難関を突破した7人が新たな道を歩みはじめた。

 その新入生のなかに、紅一点として注目を集める女性がいた。

 永島まなみさんである。

 彼女は、地方通算2000勝近くを挙げている兵庫の名手・永島太郎騎手の次女だ。幼稚園のころから父と同じ道に進むことを夢見るようになったという。

 父の永島騎手は、1974年1月生まれの44歳。91年に園田競馬場でデビューし、23勝を挙げ新人賞を獲得。同期には岩田康誠騎手らがいる。95年に姫山菊花賞で重賞初制覇を果たし、翌96年に初めて年間100勝を突破(138勝)。その後も年間100勝以上を複数回マークし、小牧太騎手、岩田騎手に次ぐ「第三の男」と言われる活躍を見せた。

 しかし、彼の騎手人生は順風満帆だったわけではない。

 絶頂期だった99年、正月のレースの返し馬で、暴れた他馬にぶつかられて左足の五指すべてを骨折する大怪我を負った。そこからわずか4カ月で戦線に復帰し、その年67勝を挙げたのには驚かされたが、本人が話しているように「ジェットコースターの騎手人生」を送ってきた。

 復帰後も着実に勝ちつづけ、毎年兵庫のトップ10以内につけていたが、33歳になった2007年は39勝、08年25勝、09年39勝と、勝ち鞍が伸び悩んだ。

 このときもしかし、彼はそこで終わることはなかった。09年の7月から2カ月間、北海道に遠征。兵庫に戻ってから本来のリズムをとり戻し、2010年以降、16年を除き、またトップ10以内を指定席としている。

 そして今年、4月4日終了時で通算1982勝と、年内での2000勝達成を射程にとらえた。いわゆる「ゴールデンジョッキー」に、彼が名を連ねる日が近づいている。

 このように浮き沈みの激しい騎手人生を歩んできただけに、気難しい職人気質なのではないかと思う人も多いだろうが、実際の彼は、ルックスと騎乗フォームそのままに若々しく、爽やかで、とても頭のいい人だ。

 私が初めて永島騎手に会ったのは、彼がキャリアの絶頂期にあった1990年代の終わりのことだった。競馬雑誌の企画で、作家の乗峯栄一さん、藤田伸二元騎手、飯田祐史調教師らが園田で馬券対決をし、私は進行と構成担当として同行した。そのとき、私たちがいた、事務所2階の会議室のようなところに永島騎手が顔を見せた。面識があり、2歳年上の藤田元騎手に挨拶に来たらしい。

 前にも書いたが、彼は、当時騎手だった角田晃一調教師に、見た目も活躍ぶりも似ていたので、馬券対決に参加したメンバーの間では「園田の角田晃一」と呼ばれていた。

 といった具合であるから、私とは「会った」というより、「たまたま一緒に場所に居合わせた」というほうが正しい。それもごく短時間。

 それから15年ほど経った2014年の暮れ、ノースヒルズの前田幸治代表と武豊騎手のトークイベントの打ち上げの席で、永島騎手と話すことができた。彼は聴衆のひとりとしてトークイベントの会場におり、武騎手の誘いでその席に合流したのだった。

 私は彼に、前述した園田での馬券対決のことを話した。すると彼がこう言った。

「ああ、2階でやっていたときですね。島田さんがいたことも覚えています」

 向こうは売り出し中の若手で、こちらは出演者について行った裏方だった。私を覚えていたのが嘘ではないことは、表情と口調からわかった。私は、人間の脳の力において「記憶力」はとても大切だと思っている。日本の詰め込み教育を批判する人もいるが、彼のように記憶力のキャパが大きい人にとっては、相当な量の知識や教養を詰めても負担にはならないはずだ。

 武騎手がその典型なのだが、記憶力のいい騎手は、同じことを馬に対してもやっているのだと思う。例えば、パドックや返し馬で悪さをしようとした馬がいたら、

 ――こら、お前がここで飛び跳ねようとするのはわかっているんだぞ。

 とあえてキツく当たる。逆に、不安そうにしている馬がいたら、

 ――君がスタンドの歓声に驚いてしまうのはわかっているよ。

 と、スタンドのファンは怖いものではないとわからせるため、立ち止まってじっくり見えるようにしたりと、「覚えてもらっている安堵感」を馬に与える。

 それから2年経った2016年の夏、武邦彦氏の通夜に参列し、ホテルに戻る新快速に乗ったら、同じ車両に永島騎手がいた。会ったのは前述の打ち上げ以来だったのだが、そのときも、「ここいいですか」と、数日前に会ったばかりであるかのように、隣に腰掛けた。翌日、大阪のホテルから告別式に向かう新快速でも同じ車両になった。目的が同じだから珍しいことではないのかもしれないが、驚いた。私はけっして「持っている」タイプではないので、彼が「持っている」のだろう。

 翌年のJRA賞の授賞式会場にも永島騎手の姿があった。何か得られるものがありそうな場所には、時間の許す限り立ってみる。その貪欲さが、40代半ばになっても第一線で戦いつづける力を支えているのだろう。

 自身もJRA競馬学校を受験したが、二次試験で不合格となった。10代のころに見た夢を、娘が叶えようとしている。

 永島まなみさんの入学式での言葉と表情からも、聡明さが伝わってくる。

 ゴールデンジョッキーとなった父と、JRAからデビューした娘による「父娘対決」。その日が「ジェットコースターの騎手人生」に訪れるか――楽しみに見守りたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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