天国へ旅立った波乱の立役者 ダイユウサク

2018年06月26日(火) 18:00

第二のストーリー

▲波乱の立役者の素顔はおとなしく控えめな性格だった(ユーザー提供:エリーさん)

有馬記念で大番狂わせ 一瞬にしてその名を轟かせた

 今年3月に亡くなったヒシマサルが余生を送っていた北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUには、かつてターフを賑わせた名馬たちが他にも名を連ねていた。断然人気のメジロマックイーンを退けて14番人気で優勝し「これはびっくりダイユウサク」というフジテレビのアナウンサーの実況とともに人々の記憶に残る名馬となったダイユウサクもその1頭で、2013年12月8日に28歳で天寿を全うしている。

 ダイユウサクは、1985年6月12日に北海道門別町(現・日高町)の優駿牧場に生を受けた。父はノーザンテーストを下してイギリス2000ギニーに優勝するなど10戦7勝の成績を残したノノアルコ。競走馬引退後はフランスで種牡馬入りし、アイルランドでも供用されたのちに日本へと輸出されている。母はクニノキヨコ、母父はダイコーター。なお母クニノキヨコの母クニノハナは、ビクトリアカップ(エリザベス女王杯の前身)に優勝している。

 栗東の内藤繁春厩舎の管理馬となったダイユウサクは、体質の弱さからデビューが遅れ、4歳(馬齢旧表記)の1998年10月30日の京都競馬400万下、ダート1800mが初陣となった。だが勝ち馬からは13秒差での殿負けで、タイムオーバーになっている。2戦目は福島に舞台を移して芝の1800mの4歳未勝利だったが、再び殿負けで勝ち馬から7秒3差とここでもタイムオーバーとなってしまう。

 馬の回転が早い今の時代ではこの2戦で見限られている可能性が大きいとも思われるが、恐らく馬自体に見どころがあったのだろう。陣営は諦めずに明け5歳になってからもレースに出走させている。タイムオーバー続きの馬ではあったが、1989年3月18日の3戦目は4番人気に支持され、結果は5着と初めて掲示板にのった。連闘で臨んだ一戦は8着と敗れるも、4月16日の5戦目の新潟ダート1700mの400万下で、2着に3馬身差をつけて待望の初勝利を挙げたのだった。

第二のストーリー

▲1991年産經大阪杯出走時(ユーザー提供:西野花子さん)

 その後クラスが上がり、・・・

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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