【オジュウチョウサンの挑戦】障害経験は平地にどう影響するのか? メジロパーマー山田泰誠元騎手を直撃

2018年07月05日(木) 18:02

GIドキュメント

▲障害を経て春秋グランプリ制覇を遂げたメジロパーマー、主戦を務めた山田泰誠元騎手

オジュウチョウサンが今週末7日(土)、4年8カ月ぶりに平地レースの開成山特別(福島芝2600m、3歳以上500万下)に出走する。平地レースは過去に未勝利戦を2走し、11着、8着だったが、障害に転向して障害GI5勝、同重賞9連勝。障害界の王者となったいま、どんなレースぶりを見せるのだろうか。障害界で数々の記録を樹立しただけに、「ここを勝てば有馬記念へ!」という声も聞こえてくる。

時は遡り26年前、障害レースの経験で自身の課題を克服し、宝塚記念と有馬記念制覇を成し遂げた馬がいた。逃げを身上としたメジロパーマー。同馬と春秋グランプリ制覇をした山田泰誠元騎手(現調教助手)に聞いた。

(取材・文:大恵陽子)


障害レースを経て春秋グランプリ制覇

 1992年有馬記念。

 ダイタクヘリオスと共に大逃げを打ったメジロパーマーは、先頭で中山の急坂を駆け上がってきた。トウカイテイオーもライスシャワーもヒシマサルもまだ後ろの馬群から抜け出せずにいる。ターフビジョンを確認した山田元騎手は「うわっ! 勝てるかも!」と胸が躍った。ゴール直前、内から迫りくるレガシーワールドを振り切ると、16頭中15番人気のメジロパーマーがグランプリホースに輝いた。

「僕の夢見ていた有馬記念じゃなかったんですけどね。夢見ていたのは、オグリコールやユタカコール。僕らが勝って、かなりザワついていました(笑)」

 どよめきの中、同年の春秋グランプリ制覇を果たしたメジロパーマーだが、その1年前は障害レースを走っていた。

 札幌記念を含む平地4勝を挙げたのち、障害入りしたのは5歳(旧齢)。

 1991年11月、初障害戦を勝利で飾ると、翌月には障害4歳以上400万下レースに出走し2着。障害レースでも結果を残した。

 障害2戦ののち、1992年3月に平地レースに戻ってきた。平地復帰レースとなるコーラルS4着の後、天皇賞・春から山田元騎手とコンビを組んだ。

 天皇賞・春を前に調教に跨った第一印象は「気が強くて頑固な馬」。

 調教師からの「気楽に逃げてくれたらいいから」という指示通り、逃げて7着。

「負けはしましたが、このレースで手応えを掴んだんです。次走の新潟大賞典は斤量が4kg軽くなって54kg。これなら楽勝やなって」

 その言葉通りメジロパーマーは新潟大賞典を4馬身差で完勝。

 そうしてGIの舞台、宝塚記念に駒を進めた。

「パーマーはね、何が何でも逃げるっていうのをみんなが知っていたから、ある程度ラクに逃げることができました。でも、ゲートが難しい馬だったんですよ。まだ開いていないのに突進してしまうので、馬の顔をずっと横に向けていました。僕だけ前を向いて、ゲートが開いた瞬間にぱっ! と顔を正面に向かせてゲートを出すんです」

 好スタートからハナを奪うと、3コーナー手前では早くも後続の馬が追い始めた。メジロパーマーも4コーナーでムチが入る。

「梅雨というのもあって馬場がすごく悪かったんですよ。それに、たしかあの年はオーバーシード(野芝の上に洋芝を重ねて植える方法)初年度で、馬場がまだ根付いていなかったんです。しまいは14.0秒もかかっていますもんね。メジロパーマーも手応えがなかったけど、逃げているから後ろの馬の手応えも分からなくって、必死でした」

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▲1992年の宝塚記念、9番人気のメジロパーマーが後続に差をつけての逃げ切り勝ち (C)netkeiba.com

 後続馬の気配を感じなかったのは、直線を向いてもメジロパーマーがリードを保っていたからでもあった。カミノクレッセに3馬身差をつけて逃げ切り勝ち。人馬ともにGI初制覇となった。

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