バレッツ2歳セールの終焉

2018年07月18日(水) 12:00


◆ダンツシアトル、エイシンワシントン…我が国のマル外ブームを牽引

 米国のカリフォルニア州を拠点とするオークション会社の「バレッツ」が、年内でその歴史に幕を閉じることになった。

 1989年に、フレッド・サハディ、ジェリー・マクマホン、ラルフ・ハインズの3氏によって設立されたのがバレッツだ。看板となったセールは、例年3月にフェアプレックスパーク競馬場で行われていた「バレッツ・マーチ2歳トレーニングセール」である。

 2歳セールは米国でも欧州でも以前から行われていたが、競走馬流通の主流はあくまでも1歳セールであり、2歳セールは亜流に過ぎない時代が長く続いていた。ここに風穴を開け、2歳マーケットを競走馬流通の本流に育て上げたのは、明らかにバレッツ社の功績であった。

 90年に開催された第1回バレッツ・マーチセールは、上場頭数が270頭で、総売り上げは1640万ドル、平均価格は8万3699ドルであった。これが第4回の93年には、上頭数が152頭に減り、総売り上げは702万ドルと第1回の半分以下に落ち込み、バレッツは1回目の窮地を迎えた。しかし、この年の平均価格は7万3156ドルで、第1回と比べて大幅に下がったわけではなく、つまりは上場馬の質は維持していたのである。

 こうした企業努力が実り、93年をボトムにしてバレッツのマーケットは急成長し、わずか3年後の96年には、上場頭数230頭のうち160頭が総額3301万ドルで購買され、マーケットの規模は3年前の4.7倍に膨張。この年、平均価格も初めて20万ドルを越える20万6350ドルに到達した。

 その後、総売り上げが96年を上回ることはなかったが、平均価格は99年に25万5407ドルにまで上昇。ちなみにこの年、1歳マーケットのプレミア市場として知られる「ファシグティプトン・サラトガ1歳セール」における平均価格は26万1456ドルだったから、「バレッツ・マーチ」は米国の競走馬マーケットの中でも、最上級にランクされる存在に成長したのだった。

 その後、バレッツを追いかけるように、OBSやファシグティプトンがフロリダ州で催す2歳セールも売り上げを拡大していき、2歳マーケットは流通の主流へと姿を変えていったのである。

 バレッツは、日本の競馬サークルにも大きな影響を与えた。バレッツセールには第1回目から、複数の日本人競馬関係者が参加していたのだが、現地に臨んだ彼らが何よりも驚かされたのが、公開調教で見せた2歳馬たちの動きであった。

 2歳3月の段階で、2歳馬たちが1F=10秒そこそこの時計を出すというのは、当時の日本では考えられなかったことで、若駒たちにいったいどのような育成を施せば、あのような調教が可能なのか、探求心の旺盛な日本の競馬関係者は続々と、コンサイナーたちが所有する育成場にスタッフを派遣。そのノウハウを吸収することになった。この頃の経験が、日本の民間育成場における調教技術をおおいに進歩させた一助となったことは、紛れもない事実である。

 そして、日本人購買者はバレッツセールで、旺盛な購買意欲を示した。90年代の競馬を御存知の方なら、「バレッツ詣(もうで)」なる言葉が流行ったことを、ご記憶であろう。例えば95年のセールで、日本人は総額1465万ドルを投じて67頭を購買。総売り上げの65%をジャパンマネーが占めたのである。そして翌96年には、総額1927万ドルを投じて77頭を購買。全体の売り上げが伸びたため、ジャパンマネーのシェアは58%に留まったが、バレッツは半ば日本人のためのマーケットと化したのである。

 調教師さんたちが現場に足を運び、実際に調教の動きを見てから購買出来るという点が、日本の競馬の仕組みに合っていたのであろう。

 そして、バレッツ出身馬は実際によく走った。91年のセールから重賞3勝のヒシマサル、92年のセールからG1宝塚記念の勝ち馬ダンツシアトル、93年のセールからG1スプリンターズSで2年連続2着となった他、G1高松宮杯でも2着となったビコーペガサス、同じく93年のセールからG1スプリンターズS2着、G1マイルCS3着のエイシンワシントンらが出現し、90年代の我が国に起きた「マル外ブーム」をバレッツ出身馬が牽引することになった。

 その後も、西海岸における競走馬流通の主軸として、2歳セールだけでなく、1歳セール、現役馬セール、ミックスセールなども催してきたバレッツだったが、実は、3月と5月に開催していた2歳セールは、今世紀に入ると徐々にマーケットがシュリンクしていった。コンサイナーの多くがフロリダを拠点としているため、大陸を横断しての輸送は負担が大きく、コンサイナーたちがフロリダのセールを重用するようになっていったのである。

 そして、決定的な転機が訪れたのが2014年だった。創設以来、バレッツが拠点としてきたフェアプレックスパーク競馬場は、ロサンゼルス・カウンティフェア・アソシエーションという非営利団体が所有していたのだが、毎年9月に行ってきたフェアプレックス競馬場における開催の収益性が悪く、競馬の開催権を返上して、フェアプレックスパーク競馬場を閉鎖することを決めたのである。カリフォルニア州における9月開催は、ロスアラミトス競馬場に移設されることになった。

 競馬場がなくなってしまえば、当然のことながら2歳セールの公開調教を行うことが出来ず、バレッツ社もまたフェアプレックスからの移転を強いられることになった。競馬場と同じ敷地の中に自前のセールスパビリオンを保持していたバレッツにとって、これは大きな痛手となった。

 2015年のメイセールから、カリフォルニア南部のデルマー競馬場に舞台を移したのをきっかけに、セールの再興を図ろうとしたバレッツだったが、目論見通りには行かず、2018年にはマーチセールとメイセールを統合して「スプリングセール」として2歳市場を行ったものの、総売り上げは648万ドルに留まり、前年の「マーチセール」と「メイセール」の合計売上げ880万ドルを大きく下回る惨敗に終わっていた。

 バレッツ社は、7月25日に予定されていた「パドック・セール」の開催を取りやめ、10月の「オクトーバー・イヤリング&ホース・オヴ・オールエイジ」に統合させると発表。8月の「オーガスト・セレクト・イヤリングセール」は予定通り行うとしており、バレッツ社として催されるセールは、この2つが最後になる模様だ。

 さて来年以降であるが、既にファシグティプトン社がカリフォルニアにおけるセールの新たな主催会社として名乗りを挙げており、会場はサンタアニタパークとなる予定だ。

 あくまでも暫定的なスケジュールとしながらも、ファシグティプトン社は2歳トレーニングセールを2019年6月5日に、1歳馬セールを9月の24日、もしくは25日に行うとしている。

 開催が6月では、検疫期間を考えると早期デビューは不可能で、サンタアニタを舞台とした2歳セールに日本人購買者が押し寄せることには、なりそうもない。

 1つの時代の終焉を感じさせてくれたのが、バレッツ消滅のニュースだった。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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