【無料】デビュー間近!新人騎手

2019年03月12日(火) 18:00

高知所属の騎手が今年は3人も!!

 JRAではこの3月、7名の新人騎手がデビューした(すでに外国や地方で騎乗経験があった藤井勘一郎騎手は除く)が、地方競馬でも4月1日以降に10名の新人騎手がデビュー予定となっている。

 地方競馬では近年、デビューする新人騎手は毎年ひと桁だったが、平地で二桁の騎手がデビューするのは、2014年(12名)以来のこととなる。すでに修了試験は終えていて、3月14日の合格発表を前に、栃木県那須塩原市にある地方競馬教養センターで終了記者会見が行われた。

 この終了会見には毎年うかがっているが、デビュー予定の候補生を取材していると、そのときどきの競馬が置かれている状況が反映されていて興味深い。

 4月1日付で騎手免許を受ける予定となっているのは、以下の10名(カッコ内の右は所属予定競馬場)。

 小野楓馬(おの・ふうま/門別)
 塚本涼人(つかもと・りょうと/水沢)
 福原杏(ふくはら・まい/浦和)
 大木天翔(おおき・かける/大井)
 兼子千央(かねこ・ちひろ/金沢)
 東川慎(ひがしかわ・しん/笠松)
 木本直(きもと・なお/園田)
 妹尾将充(せのお・まさちか/高知)
 多田羅誠也(たたら・せいや/高知)
 濱尚美(はま・なおみ/高知) ※女性

喜怒哀楽

上段左から、東川慎、木本直、妹尾将充、多田羅誠也、濱尚美

下段左から、小野楓馬、塚本涼人、福原杏、大木天翔、兼子千央(2019年3月9日撮影)

 目立つのは、高知が3名と多いこと。

 最近10年の高知デビュー騎手は、2009、10年に1人ずつ、11〜13年は所属する騎手はなく、14、15、16年に1人ずつ、17、18年には再びいなくなり、しかし今年は一気に3名がデビュー予定となった。これは高知競馬が、一時期存続すら危ぶまれるほど売上が落ち込んだ時期から、近年一気に回復したことと無関係ではないだろう。

 地方競馬の騎手候補生は、厩舎関係者と血縁だったり、人づてなどで、教養センター入所時に所属厩舎が決まっている場合もあるが、多くは入所時にどこの競馬場の所属になるのかすら決まっていない。訓練が進む過程で候補生が希望を出し、新人騎手がほしい調教師が手を上げて所属が決まっていく。

 地方競馬の売上が下がり続けていた時期、候補生が希望するのは、多くが南関東、そうでなければ馬産地・北海道だった。荒尾競馬(2011年)、福山競馬(2013年)が廃止されたのはまだ最近のこと。所属した競馬場が廃止になる可能性を現実のこととして考えると、経営も安定していて賞金も高い南関東を希望するのは当然のこと。とはいえさまざまな事情で、みんながみんな南関東の所属となるわけにはいかない。教養センターの教官からは、南関東を希望する騎手を、ほかの競馬場に振り分けるのがたいへんだったと聞いたことがある。

 今年、高知所属予定の3人に話を聞いたところ、いずれも高知が第1希望だったという。南関東ほどではないにしても、一時期よりも賞金や手当がよくなり、何よりたくさんの騎乗機会が得られる(可能性が高い)。今は地方競馬も、実力と行動力があれば、所属にかかわらず外に出ていくこともかなり容易になった。であれば、新人騎手にとって多くの騎乗機会が得られるかどうかは、かなり重要なポイントになる。

 さらにごく近年、変わったと思ったのが、目標として「中央へ」「世界へ」と言う候補生がほとんどいなくなったこと。「中央へ」「世界へ」という目標が多かったのは、内田博幸騎手や戸崎圭太騎手が中央に移籍して活躍したり、岩田康誠騎手が中央に移籍して海外のGIを勝ったりしたころ。夢の夢のまたその先の夢として、憧れだったのだろう。しかし今は、吉原寛人騎手や赤岡修次騎手のように、日本全国どこからでも騎乗を依頼される、ということを現実の目標として考えている候補生が多いようだ。JRAでの騎乗はまだまだ制限されているが、先日、北海道の阿部龍騎手がカタールで日本人騎手として初勝利を挙げたように、技術が認められれば“海外”というのは必然として付いてくる。

 最後に、各候補生のプロフィールを簡単に紹介しておこう。

 小野楓馬君は、実家が静内で、父が牧場勤務。それゆえ小さい頃から馬に乗っていた。静内農業高校の馬術部出身。門別・小野望厩舎の所属となるが、同姓なのは偶然で、血縁はない。

 塚本涼人君は、塚本四兄弟の三番目。長男は塚本弘隆騎手(金沢・2014年デビュー)、次男は塚本雄大騎手(高知・2016年デビュー)。雄大騎手から「兄弟だと比べられるから高知には来ないでほしい」と言われ、騎手の数が少ない岩手に決めたという。長男の弘隆騎手がデビューしたときから「四兄弟全員で騎手になる」ということを聞いていたが、四番目もこの4月に教養センターに入所することが決まっているらしい。

 東京都出身の福原杏君は、南関東のどこかが希望で、浦和の水野貴史調教師が手を上げてくれた。繁田健一騎手が目標で、10年以内に、その繁田騎手を超えて浦和リーディングになることが目標。

 大木天翔君は、父の知り合いを通じて大井(小林)の三坂盛雄調教師を紹介してもらい、教養センター入所前から所属が決まっていた。勝負服は“胴赤黒縦じま、袖赤・白星散らし”。胴の赤と、袖の白星散らしは、あこがれであり、目標であり、兄弟子となる御神本訓史騎手に倣ったもの。

 兼子千央君は、小学校から中学校までラグビーで体を鍛えた。騎乗数を確保したいという理由で、2015年の2名を最後に新人騎手が途絶えていた金沢を選んだ。かつてトップジョッキーとして活躍した中川雅之調教師のもと、騎手としての技術を磨きたいとのこと。

 東川慎君は、父が笠松のベテラン東川公則騎手。最近ではめずらしい6人兄弟の5番目で、競馬の世界に入ったのは兄弟でひとりだけ。父と同じ後藤正義厩舎の所属となる。

 木本直君は、友人に「体が小さいから騎手になったら」と薦められたことがきっかけ。同時にボート選手にも合格したが、騎手のほうがカッコいいと思いこの道へ。父のおさななじみの馬主の紹介で、教養センター入所前、所属予定の保利良平厩舎で1年、厩務員を経験した。

 妹尾将充君は、小学校で野球をやっていたが、体が小さかったこともあって挫折。視力の問題で騎手の道を諦めた親の薦めもあって、この道に進んだ。

 多田羅誠也君は、付属高校から大学にはストレートで進むことができたが、やりたいことがない。体が小さいこともあり、「自分で納得できる好きなことをしたい」と思い騎手の道へ。勝負服は、兄弟子の赤岡修次騎手と色違いで、“胴白・赤たすき、袖白・赤二本輪”。

 濱尚美さんは、2014年デビューの鈴木麻優さん(引退)以来、地方競馬では5年ぶりの女性騎手。祖父の薦めで騎手を目指した。母も騎手を目指していたが実現しなかったことをあとから聞いた。「レディスヴィクトリーラウンドなどで地方競馬を盛り上げたい」。

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斎藤修

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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