歴史的名牝ウィンクス、ラストランへ

2019年04月10日(水) 12:00

自らのGI勝利数世界記録更新なるか

 オーストラリアに出現した歴史的名牝ウィンクス(牝7、父ストリートクライ)の現役生活が、今週土曜日(13日)に大団円を迎える。

 ロイヤルランドウィック競馬場で行われる、ザ・チャンピオンシップス2日目のメイン競走として行われるGIクイーンエリザベスS(芝2000m)が、彼女のラストランとなるのだ。

 ウィンクスは2011年9月14日に、牝馬ヴェガスショーガールの2番仔として、ニューサウスウェールズ州ハンターヴァレイのクールモアスタッドで生まれた。

 母ヴェガスショーガールはニュージーランド産馬で、祖国で走ってLRソリロキーSなど2つの準重賞を含む6勝を挙げた他、GIIIストーニーブリッジS2着、GIマナカトゥサイヤーズプロデュースS4着などの実績を残した活躍馬だった。

 繁殖入りしたヴェガスショーガールを所有していたのは、フェアウェイ・サラブレッズ社のジョン・カミレリ氏で、同氏がウィンクスの生産者となる。

 同馬は、2013年1月に開催されたマジックミリオン・ゴールドコースト1歳セールに上場され、23万豪ドル(当時のレートで約2176万円)でマジックブラッドストックに購買された。

 マジックブラッドストックとは、ピーターとパティのタイ夫妻、リチャード・トレウィーキー、デビー・ケピティスによるパートナーシップで、つまりは彼らがウィンクスの馬主となったわけである。

 このセールの平均価格は10万6103豪ドルだったから、その倍以上はしたわけだが、最高価格馬は135万ドルで、23万ドルというのは高い方から数えて50番目のリストにも入っていない。将来のスーパースターとしては、実にお手頃な購買だったと言えよう。

 2歳秋にデビューしたウィンクスは、いきなり3連勝でGIIフュリアスS(芝1200m)を制し、その後の姿を予測させるかのようなデビューを見せたが、4戦目のGIIティーローズS(芝1400m)で2着に敗れ初黒星を喫すると、そこから4連敗。

 3歳秋にGIIファーラップS(芝1500m)で2度目の重賞制覇を果たしたが、続くGIヴァイネリースタッドS(芝2000m)では5着、GIオーストラリアンオークス(芝2400m)では2着に敗れている。

 3歳秋までに2重賞を制しているから、この世代の強豪の1頭であったことは間違いないのだが、その一方で、「その辺にいる強い馬の1頭」というのが、3歳シーズンが終盤を迎えた段階での、ウィンクスの立ち位置だったのだ。

 だが、2着に敗れた2015年4月11日のオーストラリアンオークスが、彼女が負ける姿を見せた最後の機会となった。

 2015年5月16日にGIIIサンシャインコーストギニーズ(芝1600m)を制して以降、今日までウィンクスは勝ち続けているのである。

 3歳最終戦となったGIクイーンズランドオークス(芝2200m)で待望のGI初制覇を果たすと、4歳時に7戦し、5つのGIを含む7連勝。5歳時は8戦し、6つのGIを含む8連勝。6歳時も8戦し、6つのGIを含む8連勝。

 7歳となった今季、3月23日にローズヒルガーデンズで行われたGIジョージライダーS(芝1500m)まで7戦し、6つのGIを含む7連勝を飾り、現段階で32連勝を継続中なのだ。

 積み上げたGI勝利数の24は歴代の世界記録だし、通算収得賞金の2401万6670豪ドルは、豪州における歴代最多賞金記録となっている。

 前走から、日本式でいうところの中2週でクイーンエリザベスSに臨むウィンクスは、ザ・チャンピオンシップスの第1週目がロイヤルランドウィック競馬場で行われた4月6日(土曜日)、第1競走発走前のコースに登場。1000m地点からスタートして公開調教を行い、変わらずに順調に来ている姿をファンに披露している。おそらくは、当日の単勝オッズは1.1倍を切ることになりそうなウィンクス。

 2番手グループを形成するのは、欧州を拠点に11戦し、GIIギョームドルナーノ賞(芝2000m)など2重賞を含む3勝を挙げた他、GI愛チャンピオンS(芝10F)3着などの実績を残した後、豪州移籍緒戦となったGIランヴェットS(芝2000m)で2着となったヒーズエミネント(牡5、父フランケル、英国で競走名エミネント)。昨季のGIドンカスターマイル(芝1600m)を含むGI・3勝馬ハッピークラッパー(セン8、父テオフィロ)らだ。

 ウィンクスが競馬場で見せる最後の雄姿を、競馬ファンの一員としてしっかりと見届けたいと思っている。      

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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