昔の競馬場巡りを楽しんでみてはいかがですか?

2019年04月20日(土) 12:00

“名残のとどめ方”にはいくつかのパターンがあります

 16日(火)、昔あった競馬場の跡を訪ねて、淡路島に行ってきました。

 今回訪れたのは、南あわじ市の市青木(いちあおき)というところにあった淡路競馬場跡と洲本市の三熊山競馬場跡。この2カ所は、同じ競馬場跡でも“似て非なるもの”です。

 まず淡路では、戦前と終戦直後に地方競馬が開催されました。とはいえ、明石海峡大橋も大鳴門橋もない時代。淡路島は都会から離れた“孤島”だったので、競馬は観客動員や収益確保などに限界があり長続きしませんでした。

 そのため、戦前の淡路競馬場は園田競馬場が開場すると廃止されてしまいます。そして、戦後の一時期に復活を果たしますが、それも姫路競馬場に取って代わられてしまったのです。でも逆に言えば、現存する兵庫の2つの競馬場は、どちらも淡路競馬場をルーツとしているわけです。

 淡路競馬場跡には、昔のコースに沿ってカーブしている道がありました。そして、かつてのスタンド跡に建つ三原健康広場体育館の脇には、昭和5年(戦前の競馬が開催された頃)に建立された馬頭観音がひっそりとたたずんでいました。

 一方、洲本城天守閣跡近くにあった三熊山競馬場では、戦前、戦後を通じて、正式な地方競馬が行われたことはありません。ここでは、いわゆる草競馬が開催されていたとのことです。

 跡地は小さな公園として整備されていて、その一角に弧を描いた草地がありました。たぶんそれがコース跡なんだろうと思います。

 そしてこちらには、三熊山競馬場跡と刻まれた大きな石碑が建っていました。側面に記されている碑文を読むと、開設されたのは大正元年で、競馬は戦時中の中断をはさみ、昭和35年まで続けられたそうです。記念碑が建てられるくらいですから、洲本の名物だったんでしょうね。

 こうして昔の競馬場跡を訪ね歩いていると、その“名残のとどめ方”にはいくつかのパターンがあることに気づかされます。それは大きく分けて以下のとおりです。

1=競馬場のコース跡と思われる道路などが(ほとんど全周分かごく一部分かは別として)残っている。

2=競馬場があった当時に建立された馬頭観音が残っている。

3=そこに競馬場があったことを示す記念碑や当時の建物などが残っている。

 今回の淡路は1と2、三熊山は1と3の“複合型”。今は全く跡形もないというところが圧倒的に多いなかで、こうした“複合型”の跡地は貴重な存在だと思います。

 もうすぐ10連休。その休みを利用して、昔の競馬場巡りを楽しんでみてはいかがですか?

 かつては沖縄を除くすべての都道府県に競馬場がありました。あなたのお宅の近所にも競馬場跡は必ずあるはずですよ。

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矢野吉彦

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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