目が離せない欧州2歳牡馬戦線

2019年07月03日(水) 12:00

シスキン、異例の高評価で1頭抜きん出た存在に

 気の早い話だが、今年の欧州2歳牡馬チャンピオン「当確か?!」と言われる大物2歳馬が出現して話題になっている。

 6月29日(土曜日)に愛国のカラ競馬場で行われたG2レイルウェイS(芝6F)を快勝したシスキン(牡2、父ファーストディフェンス)が、その馬である。

 愛国ミース州ダンサニーに拠点を置くG・M・リヨンズ調教師が管理する同馬は、5月11日にナースのメイドン(芝6F)でデビュー。ここを2.3/4馬身差で制して緒戦勝ちを飾ると5月24日にカラで行われたLRマーブルヒルS(芝6F)に駒を進め、ここも2.1/2馬身差で制して連勝。そして、6月29日のG2レイルウェイSでも、オッズ1.67倍の1番人気に応えて、ゴール前で鞍上C・キーンが手綱を控えながらも2.1/2馬身差で制し、無傷の3連勝で重賞初制覇を果たしたのだ。

 このパフォーマンスを競馬日刊紙レーシングポストは、レイティング115(レーシングポスト独自の評価で、オフィシャル・レイティングとは異なる)と査定。2歳シーズンの6月末の段階で、115以上のレイティングを獲得した馬は、過去20年で同馬を含めて10頭しかいないという、非常に高い評価なのだ。しかも、シスキン以外の9頭はロイヤルアスコットを舞台としたレースで115以上を獲得しており、ロイヤルアスコット以外で115というのは異例のことなのだ。ちなみに、今年のロイヤルアスコットで2歳馬に与えられた最高レートは、G2コヴェントリーS(芝6F)を勝ったアリゾナ(牡2、父ノーネイネヴァー)が獲得した110で、すなわち現段階でシスキンは今年の2歳世代で、1頭だけ抜きん出た存在となっているのである。

 カリッド・アブドゥーラ殿下の競馬組織ジャドモントの自家生産馬がシスキンだ。仏国で走り、5戦1勝の成績を残した母バードフロウン(その父オアシスドリーム)の2番仔で、母の半弟にG2ハードウィックS(芝11F211y)2着馬バーサンティ、母の半姉の仔に全米古牝馬チャンピオンのクローズハッチーズ、祖母の全兄に欧州2歳牡馬チャンピオンのザールがいるファミリーの出身だ。このうちクローズハッチーズは、父がシスキンと同じファーストディフェンスだから、シスキンとクローズハッチーズは血統構成が極めて近いことになる。

 そのファーストディフェンスは、現役時代は北米で走り、14戦6勝。サラトガのダート7FのG1フォアゴーH、ベルモントパークの芝6FのG3ジェイプールSを制するなど、芝・ダートを問わない活躍を見せた多才な馬だった。09年にケンタッキーのジャドモントで種牡馬入りし、初年度産駒から前述したクローズハッチーズや、香港でローカルG2スプリントC(芝1200m)を制したダンドネルらを輩出するという、上々の滑り出しを見せたものの、その後の仔出しは今ひとつで、2017年の種付けシーズンを前にして中東のサウジアラビアに売却されている。

 すなわち、17年生まれのシスキンは、父にとって、北米供用の最後の世代から出現した逸材なのである。

 シスキンの次走について、管理するリヨンズは「8月9日にカラで行われるG1フェニックスS(芝6F)」と明言。無敗のG1制覇がなるかどうかが注目されている。

 関係者によると、パドックでも眠っているような表情で歩を進める同馬は、気性が実に穏やかで、レース中も行きたがる素振りは微塵も見せず、実に操縦性の高い馬だそうだ。更に、スタミナや成長力が潤沢なファミリーを背景に持つことから、少なくとも2歳シーズンはこの馬の天下で、来年春のクラシックまで楽しめると見る関係者やファンは多い。

 その一方で、オアシスドリームの牝馬にファーストディフェンスの配合では、1マイルは無理と見る者も多く、来年のG1英二千ギニー(芝8F)に向けた前売りでは、シスキンの評価はそれほど高くないのが現状だ。

 二千ギニーの前売りで、各社が9〜13倍のオッズを掲げて1番人気に推しているのは、ゴドルフィンのピナトゥボ(牡2、父シャマーダル)だ。ロイヤルアスコット最終日のLRチェシェイムS(芝7F)を3.1/4馬身差で制し、デビューから無敗の3連勝を飾った馬である。

 シスキンのオッズは13〜15倍で、前述したロイヤルアスコットのG2コヴェントリーS勝ち馬アリゾナと、2番人気を争う位置にいる。

 シスキン、ピナトゥボ、アリゾナらが、今後どこで顔を合わせ、どんな競馬をするか。目の離せない欧州2歳牡馬戦線となっている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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