英ダービー馬マサーに、いったい何が起きたのか?!

2019年07月17日(水) 12:00

現役引退、懸念されていた「燃え尽き症候群」という落とし穴

 昨年のG1英国ダービー(芝12F6y)優勝馬マサー(牡4、父ニューアプローチ)の、現役引退が発表された。

 ゴドルフィンによる自家生産馬で、11年のドバイ開催でG3UAEオークス(AW1900m)とG2UAEダービー(d1900m)を連勝したコウラーの2番仔となるのがマサーである。

 ボトムラインの4代目がアーバンシーで、父の父はアーバンシーの直仔ガリレオだから、同馬は名馬にして名繁殖牝馬であるアーバンシーの3×4というインブリードを持っている。

 チャーリー・アップルビー厩舎から2歳5月という早期デビューを果たし、3戦目にサンダウンのG3ソラリオS(芝7F)を制して重賞初制覇。しかしその後は、G1ジャンルクラガルデル賞(芝1600m)3着、G1BCジュヴェナイルターフ(芝8F)6着と連敗して、2歳シーズンを終えている。

 しかし、こういう使われ方をしたということは、厩舎での期待が高かったことを意味する。

 3歳初戦となったメイダンのLRアルバスタキヤ(d1900m)は、ダートが全く合わず10着に大敗したが、早々にドバイを撤収して臨んだ欧州初戦のG3クレイヴンS(芝8F)を9馬身差で圧勝して、2度目の重賞制覇。G1二千ギニー(芝8F)では日本産ディープインパクト産駒のサクソンウォリアーの3着に敗れた後、駒を進めたG1英ダービーで、ゴドルフィンに悲願の初優勝をもたらしたのだった。

 その後は、サンダウンのG1エクリプスS(芝9F209y)を目標に調整されたが、故障を発症してここを回避。故障の詳細は明らかにされなかったが、即座の年内休養が発表されたところを見ると、簡単な疾病ではなかったことは容易に想像される。

 3歳シーズン後半を全休し、年明けまで治療に専念したマサーは、1月半ばにドバイに渡って本格的な調教を再開。ロイヤルアスコットを目標に調整され、当初は開催2日目のG1プリンスオヴウェールズS(芝9F212y)で復帰と言われていたが、長期休養明けでいきなりG1はハードルが高いということで、矛先を開催最終日のG2ハードウィックS(芝11F211y)に変更。発馬直後に躓くアクシデントがあった末に、G1コロネーションC(芝12F6y)勝ち馬デフォー(セン5、父ダラカニ)の5着に敗れたものの、勝ち馬との差は4.3/4馬身差足らずで、1年以上の休み明けを考慮すれば、悪くないパフォーマンスというのが一般的な評価だった。

 ひと叩きされて心身ともにシェイプアップされ、アップルビー調教師も「ピークの状態に戻った」と明言して臨んだのが、7月11日にニューマーケットのジュライコースで行なわれたG2プリンセスオヴウェールズS(芝12F)で、ダービー馬らしい競馬を今度は見せてくれるものと期待をしたファンは、同馬をオッズ1.83倍の圧倒的1番人気に支持したのである。

 ところが、行きたがる素振りを見せる馬を鞍上のジェームス・ドイルがなだめつつ、3番手での競馬となったマサーは、残り500m付近からレースが動くと、これに呼応することが出来ず、残り1F標識の手前あたりでドイルは勝負を諦め、勝ち馬から5.1/2馬身遅れた6頭立ての6着という結果に終わったのだった。

 ダービー馬に、いったい何が起きたのか?!

 取り沙汰された1つのファクターが、ダービー馬の「燃え尽き症候群」だ。道中に高低差が40mもあり、世界一タフと言われるエプソムの12Fコースで激走したことで、心身ともにすり減ってしまったケースは過去にもあり、例えば直近10年の英ダービー馬を例にとれば、11年のプルモワは英ダービーが現役最後のレースとなり、17年のウィングスオヴイーグルスは英ダービーが現役最後の勝利となった。マサーも、このパターンに嵌ってしまったのではないかと、懸念されていたのだ。

 G2プリンセスオヴウェールズSの直後に、陣営の周辺から「このまま引退か」という声も聞こえた一方、管理するアップルビー調教師は、決断するのはシェイク・モハメドであるとしながらも、「自分はまだ諦めていない」とコメント。もう1戦、トライをさせてもらえるのなら、距離を縮めて10F戦を使い、道中をリズムよく走れる競馬をさせてあげたい、と語っていた。

 しかしその後、モハメド殿下を含めた関係者が充分な協議を重ねた末、7月16日に同馬の引退が発表されたものだ。

 繋養先が、英国のダルハムホールスタッドになるのか、愛国のキルダンガンスタッドなるのか、種付け料はいくらになるのか、など、詳細は追って発表される予定となっている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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