幼馴染であり、かつての戦友――田中学騎手と木村健調教師の誓い

2019年07月16日(火) 18:00

 2014年、大晦日まで全国リーディング争いを繰り広げた田中学騎手(兵庫)と木村健騎手(当時、兵庫)は小学生の頃からの幼馴染。全国リーディング争い中でさえ、「一緒にレースに乗っていたら楽しかった」と笑い、園田・姫路競馬を盛り上げたい熱い思いを13時間以上も飲みながら語り明かしたこともあったとか。

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▲2014年の大晦日まで全国リーディング争いを繰り広げた田中学騎手(左)と木村健調教師(当時騎手、右)は小学生の頃からの幼馴染で、かつての戦友です

 しかし、木村騎手は腰が限界を迎え、昨年、志半ばで騎手を引退。調教師として新しい道を歩みはじめました。そして今年6月12日、木村厩舎×田中騎手は初コンビを組み、惜敗続きだったエイシンレガシーで7馬身差の完勝。コンビ初勝利を挙げました。

 幼馴染であり、かつての戦友をお互いにどう思っているのでしょうか。兵庫を代表する2人の物語をみていきましょう。

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▲兵庫を代表する2人の物語をみていきましょう!

「俺らが盛り上げていかないとな!」と誓い合った言葉

 田中騎手が生まれたのは1973年、木村騎手は1975年に生まれました。田中騎手の父は“園田の帝王”と呼ばれた道夫騎手(現調教師)。木村騎手の父も元騎手で、紀三井寺競馬場が廃止になった後は兵庫でも騎乗し、引退後は厩務員として働いています。

 2人は2学年違いですが、木村騎手が小学校1年生の時に紀三井寺から園田競馬場に引っ越してきて同じ学校に。互いのことを「タケ」「学くん」と呼び合い、「しょーもない遊びばっかりしていました(笑)」と田中騎手が笑えば、「ずっと一緒に遊んでいましたね」と木村騎手も懐かしみます。

 地方競馬教養センターを経て、1993年4月に田中騎手、同年10月に木村騎手がデビュー。のちにJRAに移籍する小牧太騎手や岩田康誠騎手をはじめ、名手揃いの園田・姫路競馬では新人の頃から活躍するのは難しく、木村騎手でさえ「デビューした頃はそんなに乗せてもらえへんくて、ずっと調整ルームにおった印象やね。寂しかったよ。結果もそんなに残せてなかったから」と言います。しかし、次第に勝ち星を伸ばしていき2人とも2004年には年間100勝の大台を突破。それ以降、園田・姫路でリーディング争いを繰り広げてきました。

「一緒に乗っていると、レースが楽しい!」

 ライバルでありながら、お互いに一緒に騎乗できることを楽しんでいました。その一因は、互いの騎乗スタイルの違いにもあるかもしれません。

 木村騎手はこう言います。

「学くんに対して『上手いなぁ〜』って感じるレースがあるし、『ここで動くんか〜』って思うこともありました。学くんは道中でも馬を殺さへんというか、ガーっと掛かってる姿を見たことがないでしょ?やっぱり折り合うのが上手ですよね。僕は1頭1頭びっしり乗っていたので、乗り替わった最初のレースで結果が出なくても、馬に気合いを入れているから次から動きやすくなっていることはありました」

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▲騎手時代、数々のビッグレースを制覇した木村健騎手

 一方で、田中騎手はこう話します。

「レースで負けると悔しいんやけど、『タケと乗っとったら面白いな!』って。そういうレースをできたのは彼とだけでした。『タケ、道中どこにおったん?』とか、タケとはずっとレースの話をしていられました。(騎手としての)タイプは違うんやけどね(笑)」

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▲田中学騎手は現在も第一線で活躍

 ある日、ともに他場に遠征した帰り、夕方の早い時間から約13時間、飲み明かしたことがあったといいます。

「俺らが頑張っていかなアカンよなって話をしていました。(小牧)太さん、(岩田)康誠が抜けたから園田終わりって言われるんは嫌やなって」

 熱く語り明かした2人は、そこで誓い合った言葉通り2014年、全国リーディング争いを繰り広げます。年末ギリギリまでもつれこみ、園田競馬場でのレース結果がそのまま全国リーディング争いに反映される形。気迫あふれるシーソーゲームは見ている方をハラハラドキドキさせました。

 最終的に2勝差で全国リーディングに輝いたのは田中騎手。木村騎手は2位となりました。

 田中騎手は今でも目を輝かせて当時を振り返ります。

「あの時は苦しかったけど、すっごい楽しかったよ。なんかもうドキドキ感がね。お互いにいいレースをして、『スゲーな、お前』って言い合ってね」

 一方、初めて全国リーディングに輝けるかと思ったところをたった2勝差で逃した木村騎手はさぞ悔しかっただろうと思ったのですが、意外な言葉が返ってきました。

「楽しかったな〜。あの年は12月がホンマ楽しかったね。最後の日までもつれとって。僕、人気馬に乗っていて、惜しかったんや〜。まぁ、がんばった結果やから2位でも仕方ないでしょう」

 年が明けて開かれたNARグランプリ授賞式の会場には田中騎手と一緒に木村騎手の姿もありました。実は、ベストフェアプレイ賞を受賞しており、互いに家族を連れての出席。笑顔で健闘を称え合ったのでした。

木村騎手のセレモニーに欠席だった理由

 しかしその後、木村騎手の体は次第に悲鳴を上げます。以前から状態が思わしくなかった腰が限界を迎え、休業。2018年3月に調教師試験に合格しました。

 実質的には2017年7月21日が引退レース。しかし、自身もファンも「これが引退レース」と心の準備を整えられぬまま、ムチを置くことになりました。

「本当はもっと乗りたかったですけど……」

 調教師合格セレモニーでそう言葉を紡いだ瞬間、木村騎手の目から涙が溢れました。

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▲調教師合格セレモニーで涙ぐむ木村健騎手

 しかし、多くの後輩騎手や調教師が木村騎手のセレモニーに集まる中、一番の戦友である田中騎手の姿はありませんでした。

「その日はたまたま名古屋に遠征だったんですよ。タケの引退はやっぱり寂しくてね。でも、腰も悪くて体がしんどいことも知っていたから、『おめでとう』なんやろうけど…なんか寂しいなぁ…」

 もしかすると、セレモニーに出たい気持ちと、出ると寂しい気持ちを抑えられなくなるんじゃないかという心配と、複雑な心境を抱えていたのかもしれません。

 さて、木村「調教師」は2018年9月13日に厩舎初出走を迎えました。園田競馬場脇に厩舎を構え、主戦は園田所属の騎手たち。西脇トレセン所属の田中騎手とのコンビはなかなか実現しませんでしたが、今年6月12日にエイシンレガシーで初タッグを組みました。

 移籍後、6戦して2着5回。気難しさゆえにあと一歩、勝ちきれない同馬を「学くんやったら、勝たせてくれるやろうって思って」と木村調教師は手綱を任せました。

「ムチを入れると耳を絞るところがあるんですが、スローペースで脚を溜めるだけ溜めて逃げて、ムチは一発も入れずに勝ってくれました」と木村調教師。

 惜敗にピリオドを打ち、7馬身差の完勝でした。

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▲「学くんやったら、勝たせてくれるやろうって思って」

 木村厩舎での初勝利っていうのは気にしていましたか?と田中騎手に聞くと、満面の笑みで「やっぱり意識はしていたよ!」との答え。

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▲2019年7月12日、エイシンレガシーでコンビ2戦目は3着でした

 ランドセルを背負って一緒に下校した小学生時代、先輩騎手に食らいついていった20代の頃、そして全国リーディングでしのぎを削った2014年。

 騎手と調教師、立場は別になっても田中騎手と木村調教師はこれからも互いに刺激し合って勝利を目指していくことでしょう。

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大恵陽子

競馬リポーター。競馬番組のほか、UMAJOセミナー講師やイベントMCも務める。『優駿』『週刊競馬ブック』『Club JRA-Net CAFEブログ』などを執筆。小学5年生からJRAと地方競馬の二刀流。神戸市出身、ホームグラウンドは阪神・園田・栗東。特技は寝ることと馬名しりとり。

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