サラブレッドは経済動物か

2019年08月15日(木) 12:00

 また札幌に来ている。

 夜、窓を開けて原稿を書いていると肌寒く感じるほど涼しい。

 先週の日曜日、花束を手に札幌競馬場に行った。競馬場内に設置されたディープインパクトの献花台で記帳するためだ。係員に場所を教えてもらい、それを前にして「しまった」と思った。キングカメハメハの献花台もディープのそれと同じテント内にあるのだ。もちろんキンカメが亡くなったことは知っていたが、献花台のことまで頭が回らず、花束をひとつしか買ってこなかった。

 が、近づいて、ほっと胸を撫で下ろした。

 同じテント内の向かって左にディープの記帳台、右にキンカメの記帳台があり、それらに挟まれる格好で献花台はひとつだけだ。なので、花束がひとつでも、2頭ともに捧げることができるようになっている。

 7月30日にディープが17歳で、翌週、8月9日にはキンカメが18歳で世を去った。どちらも早世と言える馬齢だったが、ディープは今年僅かに種付けした世代も含めると13世代、キンカメは14世代の産駒を送り出すことになる。

 競走馬としても種牡馬としても素晴らしい実績を残した2頭が近い時期につづけて死亡したことで、「年間200頭を超えるハードな種付けが寿命を縮めたのではないか」という批判の声が高まるかもしれない。

 その影響はあったのかもしれないし、もっと配合相手が少なかったとしてもこのくらいの時期に旅立ったのかもしれない。あらゆる可能性が考えられるので何とも言えないが、サラブレッドにとって大切な「血をつなぐ」という仕事を、ディープもキンカメも見事にこなしたことは確かだ。

 私は「サラブレッドは経済動物」という表現が好きではないし、それ以前に、意味をなさないと思っている。

 最近は「経済動物」を「産業動物」と言うらしく、辞書的な意味は次のようになる。

<肉・乳・卵・皮・労働力などの生産物を利用するために飼育している動物。牛・豚・馬・鶏・羊・山羊 (やぎ) など。家畜・家禽 (かきん) のこと。経済動物>(「デジタル大辞泉」小学館より)

 サラブレッドの場合は、上記の定義の「労働力など」のなかに、賞金や種付料などを稼ぐことも、また、自身の取引額も含まれている。それが高額で、巨大産業として世界中で成立しているからサラブレッドはしばしば「経済動物」と呼ばれるのだろう。

 しかし、それを言うなら、ブリーダーがいてマーケットで流通している犬や猫だって「経済動物」ということになるし、「働かざるもの食うべからず」の人間だって、例えば、プロのスポーツ選手はマーケットで値段がつけられ取引の対象になっているのだから「経済動物」と言える。

 サラブレッドの場合は、走りたくなくても競馬場に連れて行かれてレースで走らされたり、繁殖馬となっても人間の都合で配合相手が決められたりするので、「人間のエゴによってつくられ、生かされている動物」というイメージが強くなるのは仕方がない。が、それがサラブレッドと人間が共生する形となっているのだし、犬や猫だって、人間と共生するには、人間の都合に合わせた居住環境や飼養管理、責任を持ってするための配合(去勢、避妊手術を含めた)管理が必要になる。もちろん、ともに快適な時間を過ごし、幸福感を得られるよう、犬なら毎日散歩に付き合うし、猫ならツメを研ぐ場所を確保するなど、人間も最大限その動物の習性を尊重する。

 サラブレッド種牡馬にとっての種付けはまさしく労働で、人間はそれに対する報酬として清潔な居住空間と栄養ある飼料を提供し、体調管理などに最先端の技術で対応する。ウマとヒトとが、互いの役割をこなし、共生をつづけている手だてのひとつなのだが、その労働条件が過酷だったのではないかと言われたら、繰り返しになるが、そうだったのかもしれないし、もっと軽い負荷だったとしても寿命は同じくらいだったかもしれない。

 少なくとも、私たち人間は、サラブレッドを必要としている。ディープインパクトやキングカメハメハの強烈な走りを見ることができて幸せだったし、その血を持ったどんな駿馬が現れるのかと、これからも幾度となく胸をときめかせるだろう。

 そしてやはり、サラブレッドも人間を必要としていると思いたい。馬たちの求めに応じて人間たちもそれぞれの役割を果たすことになる。そのなかには、速く走らせること(=騎手の役割)や、成長曲線にあったトレーニングを課して、適性の生きるレースを選ぶこと(=調教師の役割)や、サラブレッドが見せてくれるドラマを伝えること(=メディアの役割)など、必ずしも馬の希望にそくした内容ではないこともあるが、それも馬と人との共生関係を長くつづけるためだ、と、言葉は通じなくても、わかり合いたいと思う。

 もちろん、私たち人間側の役割のこなし方には改善の余地がまだまだある。正解は永久に出ないのかもしれないが、そこに近づこうとする努力は、これからも終わりなくつづけられる。

 とりとめのない話になってしまったが、ディープインパクトとともに、キングカメハメハにも、天国でゆっくり休んでもらいたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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