タピットが通算獲得賞金1億5千万ドル達成

2019年12月18日(水) 12:00

北米史上3頭目の快挙、見えてきたトップの座

 12月15日にオクラホマ州のレミントンパーク競馬場行われた開催の第9競走に組まれた、3歳以上の牝馬限定特別シーズオールインS(d8F70y)を、リカルド・サンタナ・ジュニアが乗る5番人気(20.3倍)のマジカル(牝5、愛国を拠点に今年だけで3つのG1を制したマジカルとは同名異馬)が優勝。

 1着賞金6万ドルを収得したことで、同馬の父タピットの通算獲得賞金額が1億5006万3321ドルとなり、北米史上で3頭目の1億5千万ドル超えを果たした(集計ブラッドホース、北半球生まれの産駒が平地競馬で稼いだ賞金の合計)。

 1勝馬タップユアヒールズ(父アンブライドルド)に、プルピット(父エーピーインディ)が交配されて、2001年2月27日にケンタッキーで生まれたのがタピットだ。

 叔父にG1ヴォスバーグS(d7F)など3つのG1を制したルビアーノがいるという活気ある牝系を背景に持つ同馬は、キーンランド9月1歳市場に上場され、62万5千ドルでウィンチェルサラブレッズ社の代理人に購買されて、マイケル・ディッキンソン厩舎に入厩。現役時代は6戦し、G1ウッドメモリアルS(d9F)、G3ローレルフューチュリティ(d8.5F)の2重賞を含む3勝を挙げた。

 4歳春を迎えた2005年にゲインズウェイファームで種牡馬入り、初年度の種付け料は1万5千ドルだった。

 初年度産駒から、G1BCジュヴェナイルフィリーズ(AW8.5F)を制し2歳牝馬チャンピオンとなったスターダムウバウンド、ハリウッドスターレットS(AW8.5F)勝ち馬ララア、G1アラバマS(d10F)勝ち馬ケアレスジュウェルらが出て、いきなりブレーク。ちなみに日本で走り、G1フェブラリーS(d1600m)を制したテスタマッタもまた、2006年に生まれたタピット初年度産駒の1頭であった。

 2年目の産駒から、G1ジャストアゲイムS(芝8F)勝ち馬タピッツフライ、3年目の産駒から、G1BCダートマイル(d8F)勝ち馬タピザー、G1サンタマルガリータS(d9F)勝ち馬ジョイフルヴィクトリー、G1ラスヴァージネスS(d8F)勝ち馬ザズーらが。4年目の産駒から、G1BCジュヴェナイル(d8.5F)を制し2歳牡馬チャンピオンとなったハンセン、G1ガゼルS(d9F)勝ち馬ダンスカードなど、各世代からコンスタントにA級馬が登場。

 2011年に初めてリーディングトップ5(第3位)に食い込むと、2014年に待望の全米リーディングの座を獲得。以降、2016年まで3年連続でその地位を守ることになった。

 この間、言うまでもなく種付け料も上昇。2009年に3万5千、2010年に5万、2011年に8万、2012年に12万5千、2014年に15万と、ついに初年度の金額の10倍に到達した。そして、タピットの種付け料は2015年に30万ドルまで高騰。種付け料を公示している北米供用種牡馬では、最高額の座に昇りつめたのだった。

 この金額を2018年まで維持した後、2019年は22万5千ドルに減額となり、2020年の種付け料は20万ドルと発表されている。

 今シーズンも、タシトゥス(牡3)がG2ウッドメモリアルS(d9F)など2重賞を制した他、G1ベルモントS(d12F)2着、トラヴァーズS(d10f)2着。あるいは、レイクアヴェニュー(牝2)がG2デモワゼルS(d9F)を制し来春のクラシック候補に浮上するなど、相変わらず産駒はよく動いており、リーディング第3位につけている。

 今後のポイントは、史上3頭目の1億5千万ドル越えを果たしたタピットが、歴代首位の座に立つことが出来るのか、にある。現在の第2位は、1億5170万4189ドルのスマートストライクで、これは既に射程圏内に入っていると言えよう。

 それでは、首位に君臨するジャアンツコーズウェイの1億6653万2927ドルには、いつ届くのか。今季の収得賞金は、ジャイアンツコーズウェイの1277万1640ドル(12月15日現在)に対し、タピットは1320万6201ドルだった。そして、ジャイアンツコーズウェイは残念ながら2018年4月に他界している、2頭の間に現在ある1646万9606ドルという差が、これからどうなっていくのか。アメリカの競馬を見る、今後の楽しみの1つとなりそうだ。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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