西海岸を代表する名物競走、サンタアニタHが開催

2020年03月11日(水) 12:00

かつての栄光を取り戻すため、知恵を絞るべき時が来ている

 7日(土曜日)にカリフォルニア州のサンタアニタ競馬場で、古馬ダート路線の基幹G1サンタアニタH(d10F)が行われた。

 サンタアニタ競馬場が開設されたのが1934年12月25日で、その2か月後の1935年2月23日に、当時としては破格の総賞金10万ドルが設定されて第1回競走が行われたのがサンタアニタHだ。その後、「ザ・ビッグキャップ」と称されるようになったサンタアニタHは、西海岸を代表する名物競走としてファンに親しまれてきた。

 黎明期のサンタアニタHをおおいに盛り上げたのが、国民的なアイドルとして全米にその名が轟いていたシービスケットだった。初参戦となった1937年が、頭差の2着。2度目の参戦となった1938年が、30ポンド(約13.6キロ)もハンデが軽かったステージハンドに競り負けて、またも頭差の2着。

 1939年の初頭に左前脚繋靭帯を傷めてしまった同馬は、再起不能とまで言われたが、同年のほとんどを休養に充てた後、1940年に復帰。この年のサンタアニタHで、前年の勝ち馬カヤックを2着に退けて、悲願の「ザ・ビッグキャップ」制覇を達成。全米のスポーツファンを興奮のるつぼに叩き込んだのだった。

 第二次世界大戦のため、サンタアニタ競馬場は1942年から1944年まで閉鎖。1945年に競馬が再開されると、待ちわびていたファンが続々と来場。戦前を上回る競馬ブームとなった。1947年のサンタアニタ当日は、なんと8万3768人もの観客で場内は埋まっている。

 その後もサンタアニタHは、ラウンドテーブル(1958年)、アクアク(1971年)、アファームド(1979年)、スペクタキュラービッド(1980年)、ジョンヘンリー(1981年、1982年)といった、北米競馬を彩ってきた名馬たちが、歴代の勝ち馬に名を連ねていった。

 3頭の3冠馬が誕生した1970年代から、「庶民の英雄」と称されたジョンヘンリーが活躍した1980年代前半までが、アメリカのことに西海岸における競馬が最高潮を迎えた時代で、1985年のサンタアニタH当日に入場人員8万5527人という、現在も破られていない歴代最高集客数を樹立している。サンタアニタHの賞金を100万ドルにアップし、ハンデ戦としては世界初のミリオンレースとなったのは、1986年のことだった。

 そういう、華々しい時代を知っている者にとって、昨今のカリフォルニアの競馬は、いささか寂しい。

 2018年の暮れからサンタアニタで、レース中や調教中の事故で落命する現役馬が続出。原因究明のためサンタアニタの競馬は、2019年3月に3週間以上にわたって開催を自粛する事態となり。サンタアニタHも4月に順延して開催されている。事故を未然に防ぐため、出走登録を行う上での獣医検査が厳格になり、それはそれでとても良いことなのだが、全体的に出走頭数が減り、開催日数を削減しなければならない事態となっている。

 そんな中、カリフォルニアのホースマンたちは頑張っており、例えば今年の3歳世代には、ボブ・バファート厩舎を中心にケンタッキーダービーの有力馬が続々とカリフォルニアから出現。西海岸の競馬ファンを勢いづけている。

 その一方で、いささか手薄感が否めないのが古馬勢で、これが如実に現れてしまったのが、2020年のG1サンタアニタHだった。

 その背景にあるのは、他地区で立て続けに起こった高額賞金競走の新設だ。

 まずは2017年1月に、フロリダのガルフストリームパークを舞台とした総賞金1200万ドルのペガサスワールドC(d9F)が出現。これまでなら、古馬ダート中距離路線の強豪は、まずはサンタアニタHを年初の目標に掲げていたところ、関係者の目は一気に東海岸に向いてしまったのである。

 ペガサスの賞金は、4年目の2020年には300万ドルまで縮小したが、そこに現れたのが、中東を舞台としたサウジC(d1800m)で、なんとサンタアニタHのわずか1週間前に、総賞金2000万ドルという歴代最高賞金競走が組まれたのであった。

 1着賞金が1000万ドルで、6着賞金ですらサンタアニタHの総賞金と同額の60万ドルが用意されるとあっては、北米競馬関係者の目がそこに向くのも当然で、19年の最優秀3歳牡馬マキシマムセキュリティ、19年の最優秀ダート牝馬ミッドナイトビズーという2頭のタイトルホルダーを含めて、5頭の精鋭がサウジに向かったのである。

 そんな中、19年のサンタアニタH勝ち馬ギフトボックス(牡7)は、サウジCに登録し招待も受けたものの、年齢的なことや相手関係を考慮し、国内残留を決断。連覇を目指してサンタアニタH出走を目指すことになった。

 ところが、好事魔多し。そのギフトボックスが球節を傷めてレース当日に出走を取り消して、20年のサンタアニタHは7頭立てとなったのだが、そこにG1勝ちの実績がある馬は1頭もいなかったのである。

 ザ・ビッグキャップから、G1馬が消えた。

 これは、西海岸の競馬を応援する者にとって、衝撃である。

 ファンが1.7倍の1番人気に支持したのは、地元の前哨戦であるG2サンパスカルH(d9F)を勝って2度目の重賞制覇を果たしての参戦だったミッドコート(セン5)。これに、G2サンパスカルH3着馬のコンバッタント(牡5)と、前走は芝のG2サンマルコスS(芝10F)に出て5着だったマルチプライアー(セン6)が加わり、ゴール前は3頭による見応えある接戦となった末に、コンバッタントが首差抜けて優勝。

 3歳時にはG1ケンタッキーダービー(d10F)まで駒を進めた同馬だったが、ここまで重賞には手が届いておらず、サンタアニタHが初重賞制覇となった。

 繰り返すが、見応えのある競馬だったのだが、同時に、ファンとしてはサンタアニタHの将来に危機感も覚える。特別な存在だったサンタアニタHが、そのステータスを失い、普通の重賞競走となって、競馬カレンダーの中に埋没してしまうのではないか?!

 かつての栄光を取り戻すために、関係各所が知恵を絞るべき時が来ているようだ。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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