【ベストパートナー】エイシンフラッシュ編 天覧競馬でパニック「どうしたらいい? どこに行けばいい?」

2020年04月14日(火) 18:02

「Road to No.1」

▲天覧競馬での最敬礼…語り継がれる名シーン (撮影:evangelionさん)

今回のテーマは、ミルコ騎手が過去に騎乗した名馬を語る「ベストパートナー」。ピックアップするのは、2012年の天皇賞(秋)を勝利したエイシンフラッシュです。

この日は、天覧競馬という特別な一日。勝利したミルコ騎手は、うれしさのあまりパニック気味に。下馬しての最敬礼という、ルール上の問題はあるものの、あの名シーンも生まれました。

しかし、「僕がベストパートナーと言っちゃいけないかも…」と消極的な発言も。その真意とは?

(取材・文=森カオル)

※このインタビューは3/25(水)に実施しました。スタッフは全員マスクを着用し、ミルコ騎手との距離を保って実施しております。

毎年牧場に会いに行ってます、とっても元気です!

──今月振り返るベストパートナーは、2012年の天皇賞(秋)を制したエイシンフラッシュです。

ミルコ ベストパートナーと言っていいのかなぁ。香港とか、僕のせいで負けてしまって…。悔しい思い出ばっかりです。でも、天皇賞だけはめっちゃよかった!

──あの天皇賞(秋)は天覧競馬で、下馬しての最敬礼。ルール上の問題はありましたが、今なお語り継がれる名シーンです。エイシンフラッシュには、あのレースがテン乗りでしたね。調教で乗った感触は?

ミルコ 調教で初めて乗ったときは、とってもいい印象がありました。「この馬、すごく動く!」と思いました。これだけいい状態ならば、天皇賞もすごく楽しみだなって。ただ、勝つことはちょっと難しいかなと思ってた。その前の成績があんまりよくなかったね。

──前々走の宝塚記念が6着、前走の毎日王冠が9着という流れでしたね。

ミルコ そうそう。2年以上勝ってなかったし。でも、競馬はすごいバッチリだった! 内でジーッとしていたら、何もしてないのにシューッと上がっていって、すごい瞬発力だったね。パッと外を見たらフェノーメノがいたけど、差されない自信がありました。

 ゴールした瞬間は、めっちゃうれしかったね。でも、そのあと天覧競馬だっていうことを思い出して、「どうしよう! どうしたらいい? どこに行けばいい?」とかいろいろ考えてパニックになった(笑)。

「Road to No.1」

▲「すごい瞬発力だった、差されない自信がありました」とミルコ騎手 (撮影:下野雄規)

──事前に勝った場合の説明があったそうですが。

ミルコ ありました。そういえば裁決の人が何か教えてくれたなって思い出したんだけど、うれしいのとわからないのとでパニックになって。でも、(松永)幹夫さん(2005年天皇賞・秋)と四位さん(台覧競馬・2007年ダービー)とは違うことがしたくて…。

──なるほど、それで下馬をしたんですね。

ミルコ そうです。そうしたら、赤いジャケットを着たJRAの職員さんが、隣ですごい心配してました。馬がケガをしたと思ったみたいで、何度も「大丈夫ですか!?」って聞かれた(苦笑)。

──その後、裁決にも…。

ミルコ めっちゃ怒られた!「ミルコ! ルール知ってますか!? 下馬ダメ!」って。「知ってましたけど、今日は特別だと思ってしまいました…」って言ったら、「ダメ!!!」って(苦笑)。

 でも、いい思い出です。天皇陛下の前で勝てるなんてなかなかない。ホントに忘れられない日ですね。そのあとの香港も、悔しくて忘れられないけど…。

──二度目の騎乗となったのが、2013年のクイーンエリザベスII世C。最後方からの競馬になって、結果は3着でした。どのあたりに後悔がありますか?

ミルコ 天皇賞のときより調教は動いたし、僕が乗ったなかでは一番いい状態だった。だから、これは負けない! ってずっと思ってましたね。でも、思ったよりポジションが後ろになってしまって…。

 それでも絶対に瞬発力があるから、全然焦っていなかったんだけど、前の馬がフラフラしていて、「内? 外? どこに行こう?」って考えているうちに、馬がちょっとジリジリになっちゃった。でも3着にきたからね、ホントにもったいなかった。

──確かに前が壁になるシーンがありましたね。

ミルコ はい。「外に出すと馬がちょっとフワッとするから、内に行ってほしい」と先生から言われました。それは僕も同じ考えだった。香港はいつも直線でバラけるから、内に入ってもあの瞬発力があれば全然問題ないと思ってたんだけど…。

 4コーナーでの手応えがすごくよかったから、あそこでもっと早めに動けばよかった。間違えたね。だいぶ間違えました。終わってからはいろんな考えができるけど、競馬のときはすべてが一瞬。難しいね。

 天皇賞みたいにスムーズだったら、後ろからでも勝っていたと思う…。もうひとつ最悪だったのがジャパンC(10着)。2、3番手くらいに付けるつもりが…。

──逃げてしまった。

ミルコ そう。スタートから出していったら、先頭に行ってしまった。誰もハナに行きたくなくて、ペースはすごく遅かったけど、あの馬、先頭からの競馬は無理ですね。直線に向いたら完全に止まってしまった。5着以内には絶対に入れると思っていたのに…。

 すごく悔しいし、すごく悲しかった。あのジャパンCは、あり得ないね。最初の天皇賞はあんなに運が良かったのに、そのあとは全然いい競馬ができなかった。ものすごく大好きな馬だったけど、僕がベストパートナーと言っちゃいけないかも。

「Road to No.1」

▲「ものすごく大好きな馬だったけど…」勝てなかったレースへの後悔が今でも (C)netkeiba.com

──見た目がすごく好みだったとおっしゃっていましたね。

ミルコ そう! 真っ黒で、ものすごくかっこよかった。見た目で言うと、リオンディーズが現れるまでは、エイシンフラッシュが僕のなかで一番だったね。

 だいたい毎年、牧場に会いに行ってます。とっても元気で、見た目も変わらない。今でもすごくキレイな馬です。子供たちもみんなキレイ。ちょっと難しい子が多いけど、お父さんで悔しい思いをいっぱいしたぶん、子供たちでGIを勝てたら一番うれしいね!

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ミルコ・デムーロ

1979年1月11日、イタリア生まれ。弟のクリスチャン・デムーロはイタリアのジョッキー。1997年から4年連続でイタリアリーディング。1999年に初来日。2003年、ネオユニヴァースの皐月賞でJRAGI初制覇。続くダービーも制し、外国人ジョッキー初の東京優駿制覇。2015年3月1日付けでJRAジョッキーに。

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