死ぬほど辛くても…“命を預かった責任”で乗り越えた苦難 高知・あしずりダディー牧場(5)

2020年06月23日(火) 18:00

第二のストーリー

宮崎さんと牧場を救ったアルファー(提供:あしずりダディー牧場)

食べることもままならない苦しい時期も

「養老牧場を始めたばかりの頃はまだ信用もないですし、ある程度養老牧場としてやっていけるようになってからではないと、自分の馬を預けようという人はなかなか出てこないですよね。ちゃんと世話をしてくれるのかとか、すぐに殺されちゃんうんじゃないかとか。だからはじめは預託してくれる人が本当にいませんでした。ただその当時はまだ多少の資金がありましたし、これくらいなら何とかなるかなと思ったら助けたりしていました。そして段々馬が増えていって、経営が苦しくなっていきました」

 それもあって、会員を募ることになった。

「馬を応援する人、牧場自体を応援する人など、支援にもいろいろありました。例えばオリジナルステップを支援しようとかですね。ウェンディアンサーの場合は乗馬クラブ時代から知っている人が支援してくれたり。馬ではなく、牧場自体を応援してくれる支援会員になってくれる人もいました」

 グリーンチャンネルの「亀和田武が行く 競走馬のいる風景2」で紹介されたが、全国的な知名度はまだ高いとは言えなかった。

「ダディー牧場? えっ? どこにあるの? という感じでしたから」

 目の前の馬たちを養っていくために一生懸命だった宮崎さんに、試練が訪れた。牧場を始めて数年たった頃、好きで始めたことだからすべて自分の力でやるようにということで、夫からの金銭面での支援が打ち切られた。生活費も渡されず、宮崎さんは窮地に立たされた。宮崎さんとあしずりダディー牧場の苦しい時期の始まりだった。

「食べることもままならないような時もあったんですよ。明日のご飯代がないというような時が。それでもやっぱり馬には食べさせなければならないですから、お金があるうちに目一杯牧草を買い込んで、それで足りない分は山や野とかいろいろなところに行って草を刈ってきて、牧草に混ぜたり、それにフスマ(=ブラン。製粉時に捨てられてしまう小麦の表皮の部分)をかけて混ぜて与えるような感じで、少しお金ができた時にはトウモロコシを入れたりしながら、何とかやりくりして食べさせてきました。

 本当に苦しい時には、7頭ほど馬がいたのですけど、1か月4万くらいの餌代で済むように様々な食べ物を工面しました。生活費のために持っていた20万ほどのお金も馬の方に少しずつ持っていって。とどのつまりは、ネットで『寒立馬7頭を助けてください』という呼びかけを見て、私はその馬の写真に釘付けになってしまって、この可愛い仔馬たちを肉のために殺すなんて許せないと思って、その時の手持ちのお金をボンと寄付したんですよ、バカみたいに。自分はそれしか持っていなかったのに、後先がないんですよね。今考えても向こう水でしたよね(笑)」

 その後、一時は寒立馬たちを助けられなくなりそうな出来事もあったが、奇跡的にも馬をすべて買い取ってくれるという救い手が現れ、7頭の寒立馬たちの命は繋がって、あちこちに引き取られていった。そのうちの1頭の風月は、あしずりダディー牧場にやって来たのち、宮崎さんが馬修行をした幡多農業高校へと移動し、今はまた別の場所で暮らしているという。画像の花雪も、あしずりダディー牧場で大きく育ったのち、愛情たっぷりのご夫婦に譲渡され、今では畑仕事や田んぼの代掻きに勤しんでいるという。

第二のストーリー

寒立馬の花雪(提供:あしずりダディー牧場)

「馬を助けようという時にエネルギーというか、躍動感みたいなものを感じて、絶対に助かるという確信があるんですよね。気持ちがあればきっといけると。それがあると、不思議と誰かが助けてくれるんです。自分には何も力はないですよ。でも同じような考えを持った人が集まってくるんですよね。そうなってくると助けられるケースがたくさんあるのですが、これは人というより、馬自身の力だと思うんです」

宮崎さんと牧場を救った2頭の馬

 これまで引退馬を引き取った人や施設を取材して感じるのは、皆馬の命を繋げたいという気持ちが強いだけではなく、行動力があるということだ。ではなぜ行動を起こすのかというと、馬には人を強烈に引き付け、放っておけなくなる何かがあるからだと思う。その「何か」は人それぞれ感じ方が違うだろうが、人自らが動くというより、馬に人を動かす力があるのだと、宮崎さんの話を聞きながら改めて感じたのだった。

 寒立馬たちの命が繋がったのは良かったが、なけなしのお金を寄付した後のことも気になった。

「何にもない時には、卵かけごはんとかですよね。お米を買えない時もあったんですよ。その時は、主人のいる家にこっそり戻って贈答品のそうめんが入った箱を持ってきて、それを食べたりとかしてましたよね(笑)。そうこうしているうちに馬主さんがついてくれたんですよね。1人、2人、3人と増えてきて、それで少しずつ牧場も潤うようになってきて、安いものしか食べられませんけど、おかず付きのご飯が食べられるようになりました(笑)。そうやってやりくりしている時って、自分が夢中ですけど、過ぎてみれば何だか笑えますよね(笑)」

 よく考えれば大変なことなのだが、明るく笑いながら宮崎さんが当時を振り返るので、ついついこちらも笑ってしまった。だが食うや食わずの時でも、大きな馬たちの命を守り抜いたのは並大抵の努力ではなかったはずだ。牧場開業当初からの仲間で宮崎さんの愛馬だったアパルーサのアルファーとポニーのプチを売ったのも、その苦しい時期だった。

「アルファーは私がまだ楽に生きていた頃に、乗馬クラブに預けていた馬なんです。乗馬クラブに行って時々遊んで乗ったりとか、可愛がったりしていました。養老牧場を開場してこちらに連れてきて、会員さんたちに乗ってもらったり、触れ合ってもらっていました。餌代が大変な時に支援のない自分の馬を置いておくというのは大変だったんです。

 アルファーはまだ若くてまだ乗馬もできましたので、私の知り合いで馬を可愛がって飼っている女性にどうかと相談したんです。彼女はちょうどハノーヴァー種の愛馬を亡くしたばかりだったのですが、ほしいけれど購入代がないということでした。それを聞いた、ウチに預託してくれている馬主さんが、私からアルファーを購入して彼女にプレゼントしてくれたんです。私は何もかもなくなって大変なことになっていましたし、食べるものもなくて困っていましたから、収入がほしかったんですね。その馬主さんも、牧場が苦しいことを理解してくださっていて、馬を買ってくれたんです。そのお金は、しばらく大事に大事に使いました。

 開業当初から牧場にいるポニーのプチも、ウチに来ている装蹄師さんに誰か可愛がって飼ってくれる人はいないですかと相談しました。すると最後まで面倒を見てくれそうな乗馬クラブがあるということで、売りました。金額よりも可愛がってもらえる人に譲りたかったんですよ。ただ万が一、プチが負担になったら、私に戻してくださいということを装蹄師さんには伝えてもらいました」

第二のストーリー

アルファーと牧場を救ってくれたもう1頭、ポニーのプチ(提供:あしずりダディー牧場)

 その日の食べるものにも困るほどの苦しい時期を、宮崎さんが乗り越えられたのは、やはり馬の力だった。

「自分が牧場を辞めてしまったら、この命たちはどこに行くのか、殺されるしかないのかもしれない…、そう思うと簡単に辞めるという宣言はできないです。これが普通の会社だったらとっくに辞めてますよ。採算も取れないし、肉体労働で体もきついですから。本当に死ぬほど辛かったですけど、命の重大さ、自分がその命を預かったという責任がありますから、途中で辞めることはできなかったですね。だからここまで続けて来られたのだと思います。命のためにやってきたということですよね」  

 宮崎さんの必死な姿をたくさんの人が見ていたし、天も見放さなかったようで、前述したように馬主が増えていった。

「アルファーとプチが新天地に行って馬房も空きましたので、新しい預託馬を入れることができて、そこから少しずつ充実していきました。アルファーとプチが助けてくれたんですよね。貧乏のどん底の何だこりゃーという時に(笑)、2頭が助けてくれたんです」

(つづく)


▽ NPO法人 あしずりダディー牧場 命の会 HP

http://www.horsetrust-ashizuri.com/

▽ NPO法人 あしずりダディー牧場 命の会 Facebook

https://www.facebook.com/daddyranch/

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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