武豊騎手の4200勝に寄せて

2020年08月13日(木) 12:00

 梅雨が明け、セミの声が賑やかになったと思ったら、いつの間にか真夏日の連続が猛暑日の連続となり、寝苦しい夜が当たり前になった。

 同じように、JRAの競馬も、一部の地方競馬につづいて、気がついたらスタンドにファンがいるいつもの光景に戻ると思っていたのだが、そうはならなかった。

 今週末から新潟競馬場で限定的に入場が再開される予定だったが、それを取りやめることが発表された。現時点では9月6日までの無観客開催が決まっており、2月29日から始まった無観客競馬は半年以上に及ぶことになる。

 残念ではあるが、感染拡大に歯止めがかからない現状を鑑みると、やむを得ないところだろう。

 そんななか、武豊騎手が、8月9日の札幌第7レースをドゥラモットで勝ち、史上初のJRA通算4200勝を達成した。1987年3月1日の初騎乗から2万2487戦目、33年5カ月9日での達成であった。

 30年以上も第一線で活躍し、その業界の顔となっている人を、私はほかに知らない。30年も経てば、顔も体も心も、それ以上に周囲の状況が大きく変わる。それでも、股の下に地獄を抱えながら活躍しつづける姿には、頭が下がるし、勇気づけられる。素晴らしい偉業である。おめでとうございます。

 武騎手が史上最速・最年少でJRA通算1000勝を達成したのは1995年7月のことだった。当時から彼は騎手を引退しても調教師になるつもりはないと話していたのだが、通算1000勝した騎手は、調教師試験の一次試験が免除されるという規程があった。まだ26歳だったのだが、気が変わったときのための確定した将来を約束されたようなものだった。

 その2年前だったと思うが、大の競馬ファンだった映画監督の故・森田芳光さんに、『武豊全馬券』という本を出したら面白いのではないか、と言われたことがあった。

 武騎手が騎乗したすべてのレースの馬券を買った場合の収支を、一戦ごとのレポートや感想を添えてまとめたらどうか、と。

 森田さんにそう言われたのが1993年だったとする。武騎手はその年の4月に通算700勝を達成している。ベガで牝馬クラシック二冠と、ナリタタイシンで皐月賞を勝った年だ。デビュー7年目、JRAでの騎乗数はシーズン中4000台になっている。

 仮に『武豊全馬券』の対象が4000レースだとする。1ページに詰め込めるのは、レース名と条件、馬名、人気、着順などのデータも必須なので、文字組みを工夫しても4レースが限界か。となると計1000ページ。上・下巻か、上・中・下巻に分ければ、できないことはない。

 しかし、である。

 それを今やろうとすると、当時の5倍以上の2万2487レースもあるので、最低でも10巻以上の超大作になる。実際は、GIを勝ったときは1レースで1ページにするなど強弱をつけるだろうから、もっと多くなると思われる。

 森田さんは、世間話の延長のような軽い気持ちで言ったのだろうが、実現させるのは難しそうだ。

 が、企画をちょっと変えて、『武豊全勝利』なら、数のうえでは1993年の全騎乗数と同じくらいなので、不可能ではない。馬券的要素を入れるなら、『武豊全単勝 的中篇』か『武豊全馬券 単勝的中篇』などとしてもいい。

 私ひとりで書くのでは、いつできるかわからないので、共著にする手もある。

 天国の森田さん、いかがでしょうか。

 さて、netkeiba.comのニュースやプレゼントで取り上げてもらったり、作家の河崎秋子さんが読売新聞文化面の「空想書店」で紹介してくれたりしたおかげで、『ノン・サラブレッド』がいいペースで売れている。アマゾンでも急に在庫が少なくなり、今見たら残り3冊になっている。間の悪いことにお盆休みなので、補充されるまで時間がかかるかもしれない。ともあれ、リアルの書店でもネット書店でも品薄になるほど売れたのは『ダービーパラドックス』以来なので、嬉しい。

 まだ、競馬場やWINSなどのターフィーショップは全店クローズドされたままだというので、そちらでの売上げに期待できるのは先のことになる。それに関して私にできるのは待つことだけなので、非常時の競馬を楽しむ術をこれからも考えていきたい。

 話は武騎手に戻るが、50歳を過ぎてからのほうが、40代のときよりむしろ上向いたところもあるというのがすごい。彼の仲人でもある作家の伊集院静さんも、60歳を過ぎてからさらに売れ出し、次々とヒットを飛ばしている。今年1月にクモ膜下出血で救急搬送され、しばらく筆を休めていたが、6月末発売の週刊誌から仕事を再開している。

 私も、自分にとっての50代が、「五十にして天命を知る」の知命だったと思えるよう頑張りたい。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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