早くも芝とダート両方でG1馬を出した新種牡馬ナイキスト

2020年09月23日(水) 12:00

母は米G1・2着馬の持込馬、アリエノールに注目

 9月6日に産駒のヴィクイスト(牝2)がサラトガのG1スピナウェイS(d7F)を制したのに続いて、9月20日には産駒のグレツキーザグレート(牡2)がウッドバインのG1サマーS(芝8F)に優勝。早くも2頭のG1勝ち馬を出し、北米フレッシュマンサイヤーランキングの首位に浮上したナイキスト(牡7、父アンクルモー)を、今週のこのコラムでは取り上げたい。

 ナイキスト自身は、キーンランド1歳市場にて23万ドルでピンフックされたのち、ファシグティプトン・ガルフストリームパーク2歳セールに上場され、馬主ポール・レダム氏の代理人であるダグ・オニール調教師に40万ドルで購買されている。

 2歳6月にデビューすると破竹の快進撃が始まり、年末まで5戦負け知らずで突っ走った。G1デルマーフューチュリテイ(d7F)、G1フロントランナーS(d8.5F)、G1BCジュヴェナイル(d8.5F)という3つのG1を含む4重賞を制し、全米最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得。同時にこの頃、同馬の引退後の種牡馬としての権利をダーレーが買収している。

 3歳春も勢いは止まらず、G2サンヴィセンテS(d7F)、G1フロリダダービー(d9F)、G1ケンタッキーダービー(d10F)まで無敗でぶっこ抜くことになった。2歳チャンピオンが、無敗のままケンタッキーダービー制覇を果たしたのは、1977年のシアトルスルー以来となる快挙だった。

 しかし、続くG2プリークネスS(d9.5F)で3着に敗れて連勝がストップ。G1ハスケル招待(d9F)4着、G2ペンシルヴェニアダービー(d9F)6着と風船が萎んでいった後、G1BCクラシックへ向けての調整中に球節がモヤっと来て、この段階で現役引退と、翌春ダーレーアメリカで種牡馬入りすることが発表された。

 初年度の種付け料は4万ドルと設定されたが、この年の新種牡馬の中では、同じダーレーで種牡馬入りしたG1・3勝馬フロステッドの5万ドルに続き、テイラーメイドで種牡馬入りしたカリフォルニアクロ−ムと横並びの第2位という高値だった。

 翌春、ナイキストの初年度産駒は100頭生まれ、このうち66頭が北米1歳市場に登場。48頭が平均価格22万6625ドルで購買されている。売却率は72.7%だった。

 他の新種牡馬の初年度産駒は、フロステッドが90頭上場されて70頭が売却され、平均価格は22万2079ドルで、売却率は71、4%、カリフォルニアクロームが72頭上場されて42頭が売却され、平均価格は8万9500ドルだったから、フロステッドとは僅差ではあったものの、同世代の新種牡馬の中でマーケットの評価が最も高かったのはナイキストであった。

 ナイキストの産駒の評判は、生産者の間でも高かったようで、初年度は100頭だった産駒数が19年の2世代目には121頭に上昇。種付け料も、初年度の4万ドルが下がることなく20年春まで維持されている。

 蛇足になるが、19年、初年度産駒のマーケットにおける評価が高かったもう1頭の新種牡馬が、15年の全米最優秀スプリンターのランハッピーだった。クレイボーンにて2万5ドルの種付け料で供用されたランハッピーの初年度産駒は、19年の1歳市場に72頭上場され、このうち62頭が平均価格22万3758ドルで購買され、売却率は86.1%だった。

 こうして今年の競馬が始まったわけだが、ナイキスト産駒は周囲が期待したほどのスタートダッシュを見せたわけではなかった。

 むしろ、夏場を迎えて徐々にエンジンがかかり、8月23日にウッドバインのLRソアリングフリーS(芝6.5F)をグレツキーザグレートが制し、産駒による特別初制覇を達成。9月6日にサラトガで行われたG1スピナウェイS(d7F)をヴィクイスト(牝2)が優勝して産駒の重賞初制覇をG1で挙げただけでなく、このレースの3着もナイキスト産駒のレディリリー(牝2)であった。

 そして、グレツキーザグレート(牡2)がG1サマーSに優勝と、ナイキスト産駒は芝・ダートを問わない活躍を見せ始めたのだ。 ナイキストの初年度産駒は日本にも1頭いる。斎藤誠厩舎のアリエノール(牝2)で、母ランドオーヴァーシーはG1ケンタッキーオークス(d9F)2着馬という活躍馬だけに、今後の動向が楽しみである。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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