欧州各地から新種牡馬産駒初勝利の便りが続々

2021年05月05日(水) 12:00

G1・3勝のデコレーテッドナイト産駒は初出走初勝利

 芝平地シーズンのスタートと同時に、2歳戦もスタートしているヨーロッパの各地から、2日(日曜日)、新種牡馬の産駒初勝利のニュースが飛び込んできた。

 まず、英国南部のウィルトシャーにあるソールズバリー競馬場で、産駒が初勝利を挙げたのがデコレーテッドナイト(父ガリレオ)だ。

 現役時代は英国を拠点に走り、5歳時にメイダンのG1ジェベルハッタ(芝1800m)、カラのG1タタソールドGC(芝10F110y)、レパーズタウンのG1愛チャンピオンS(芝10F)という、3つのG1を制したのがデコレーテッドナイトだ。中でも、道中最後方追走から直線で鋭い末脚を繰り出し、翌年G1プリンスオブウェールズS(芝9F212y)、G1キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(芝11F211y)を勝つことになるポエッツワードを1/2馬身差し切ったG1愛チャンピオンSは、強烈なパフォーマンスだった。

 18年春にアイリッシュ・ナショナルスタッドで種牡馬入りした同馬。初年度の種付け頭数が66頭だったのに対し、2年目の19年が79頭、3年目の20年は122頭と、年々交配数を増やしている。その背景には、初年度は1万5千ユーロだった種付け料が、2年目は1万2千ユーロに下がり、3年目はさらに下がって9千ユーロとなったこともあるが、産駒の出来が良かったことも間違いのない事実だろう。

 そのデコレーテッドナイトにとって、初めての出走馬となったのが、2日にソールズバリーで行われた牝馬限定の条件戦(芝5F)に登場したシルバーブレットレディ(牝2、父デコレーテッドナイト)だった。管理するのは、父を手掛けたロジャー・チャールトンである。

 ゲートを出るといきなり大きく左にヨレて、最後方を追走することになったシルバーブレットレディは、残り2Fから馬群の内側を通って進出を開始。ここでも、右に左にヨレる若さを見せながらも、残り60mで先頭に立つと、最後は1馬身抜け出して優勝。デビュー勝ちを飾った。

 デコレーテッドナイトは、母の父がストームキャットで、この辺りが仕上がりの早さとスピードの源泉となっていそうだ。

 続いて、仏国南部のニーム競馬場で産駒が初勝利をあげたのが、ウイングスオヴイーグルス(父プルモワ)である。

 G1仏千ギニー(芝1600m)3着馬イズルデイーナの6番仔で、アルカナ8月1歳市場にて22万ユーロでクールモアに購買され、A.オブライエン厩舎からデビューしたのがウイングスオヴイーグルスだ。

 3歳春、ダービープレップの1つであるG3チェスターヴァーズ(芝12F63y)で2着となって出走したG1英ダービー(芝12F6y)で、パドレイグ・ベギー騎手を背に鮮やかな差し切り勝ちを演じた。

 18年に仏国のモンターニュ牧場で種牡馬入りしたウイングスオヴイーグルスは、2年目の19年から愛国にあるクールモアの障害用種牡馬繋養地となっているビーチズ・スタッドに場所を移して繋養されている。

 2日にニーム競馬場で行われた第1競走、2歳未勝利戦(芝1200m)に出走したのが、ジュリエンネ(牝2、父ウイングスオヴイーグルス)で、発馬後まもなくハナを奪った同馬は、直線で後続の追撃を封じて逃げ切り勝ち。デビュー2戦目で初勝利を挙げている。

 さらに、スペインのマドリッドにあるラ・ザルズエラ競馬場で産駒が初勝利を挙げたのが、ヌーゾーカナリア(父カラダック)だ。

 スペイン産馬のヌーゾーカナリアは、2歳時、自国で2戦2勝の成績を残した後、仏国パリロンシャンのG1ジャンルクラガルデル賞(芝1400m)に挑み、勝ち馬カラコンティから3/4馬身差の2着に入って、欧州競馬関係者の大喝采を浴びた。

 3歳春にはG1英二千ギニー(芝8F)6着、3歳秋にはG1ラフォレ賞(芝1400m)3着などの成績を残したヌーゾーカナリアは、18年に祖国スペインで種牡馬入り。2日にラ・ザルズエラで行われた2歳戦で、産駒のブリボンとワイルドスタームが1・2着に入ったと、レーシングポスト紙の電子版が報じている。

 ちなみに、5月2日の競馬が終わった段階での、英国と愛国のフレッシュマンサイヤー・ランキングを見ると、ロイヤルアスコットのG1コモンウェルスC(芝6F)など、現役時代は6FのG1を2勝しているカラヴァッジョ(父スキャットダディ)が、8頭出走した産駒のうち3頭が勝ち上がり、賞金収得額で首位に立っている。

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合田直弘

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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