「鳴尾競馬場」跡地に記念碑建立

2019年10月10日(木) 21:17 0 1

阪神競馬場(宝塚市駒の町)の前身に当たり、戦前に今の西宮市の沿岸部にあった「鳴尾競馬場」を顕彰する記念碑が、跡地の浜甲団地公園(西宮市枝川町)に建てられた。野球場などを併設し、大正期には全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)も開かれた大規模スポーツ施設だった。記念碑は70年近く地元で活動してきた「鳴尾文化協会」が解散前の最後の事業として企画。メンバーは「石碑とともに協会の名も後世に残れば」と語る。

鳴尾競馬場は1907(明治40)年、当時の鳴尾村(現西宮市)に「関西競馬場」として開設された。次第に盛況となり、35(昭和10)年に拡張・新装された。全長1845メートルのトラックのほか鉄筋コンクリート造6階の建物を備え、収容人員約1万8300人に。この時できたメインスタンドの一部は、現在も武庫川女子大付属中学・高校に残っている。

競馬場は売り上げ全国1位も記録したが戦線の拡大に伴い43(昭和18)年、軍に接収され飛行場となった。

一方、鳴尾文化協会は50(同25)年に設立。地元の名士らが集い旧鳴尾村役場跡の記念碑建立や方言集の発刊など郷土文化の探究、顕彰に長年取り組んできた。近年は高齢化が進み会員数も70人ほどに減少。「一定の成果を達成した」として今年3月末で解散した。解散前に計画していた鳴尾競馬場の碑を主に協会の残余金で建てることにしたという。

碑は碑名を刻んだ石柱(高さ1・5M)と、同競馬場の歩みを記した石碑(幅約1・2M、高さ約1M)の1組。浜甲団地公園内のちょうど競馬場の敷地の中心だった場所に今春建てられ市に寄贈された。

同協会役員だった西田靖男さん(75)は「競馬場に続く道を地元では『競馬場道(みち)』と呼ぶなど愛着のある施設だった。協会は解散したが、地域史を後世に伝える役割を若い人らが引き継いでくれたら」と話す。

【鳴尾競馬場】1907年開設の関西競馬場に、鳴尾川を挟み東側にあった鳴尾速歩競馬場(08年開設)を10年に統合させ鳴尾競馬場となった。敷地は約41・7万平方メートルと広大で日本初の民間飛行大会なども開催された。トラック内に野球場2面、陸上競技場、テニスコート、プールも併設。17〜23年には全国中等学校優勝野球大会の3〜9回大会が開かれた。37年に阪神競馬場に改称された。終戦後の49年、後を継いだ現在の阪神競馬場が完成した。

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