引退した競走馬に「天寿」を 契機は夫の死

2022年01月16日(日) 07:43 3 12

 引退馬協会代表を務める沼田恭子さん。「命への思い」で馬のために頑張ってます。


 夫の和馬さんの父正弘さんはトウショウ牧場(北海道新ひだか町、15年閉鎖)の初代場長で、香取市に育成牧場を開業。

 90年2月。和馬さんが脳腫瘍と診断され手術と再発を繰り返す中で、「夢だった乗馬クラブができれば、夫も元気を取り戻せる気がしましてね」。中小企業金融公庫に何度も通って融資を取り付け、育成牧場の隣に「乗馬倶楽部イグレット」を開場したのは93年8月。初代オーナーとなった和馬さんは2年後の95年5月、45歳で死去

 実は和馬さんは、育成牧場で働いていた時、仕事に前向きではなかった。1歳の冬に育成牧場に来た馬は、2歳の春にはデビューのために去って行き、再び会うことはない。「馬が通り過ぎていくのが、夫にはつらかった。私は、夫が亡くなってから、そのことを理解したのです」

 なら逆に、サラブレッドの寿命は何歳ぐらいなのだろうか――。「馬の近くにいたのに、その答えが分からない。馬が寿命を全うするのを見ていなかったことに我ながら驚きました」

 そんな葛藤から生まれた「引退した競走馬を、お金を出し合って支えられないか」という案は、周囲にはとっぴな思い付きと受け止められた。だが、イグレットのスタッフで家族に競馬関係者がいた加藤めぐみさん(現・引退馬協会専務理事)に相談し、競馬のファンサイトで協力を呼び掛けると、40人が「参加したい」と申し出てくれた。

 97年、引退馬協会の前身「イグレット軽種馬フォスターペアレントの会」を設立した。会員が競走や繁殖を引退した馬の「フォスターペアレント」(育て親)としてお金を出し、各地の牧場や乗馬クラブでの余生を支える事業を始めた。

 「フォスターホース」の第1号として98年にイグレットへやって来たのはグラールストーン。91〜93年の有馬記念で3年連続3着に入るなどG?では勝ち切れない善戦ぶりが愛されたナイスネイチャの半弟(母が同じウラカワミユキ)で、11年2月に死ぬまで長らく会の「広報部長」として活躍した。17年に牝馬国内最長記録の36歳で天寿を全うしたウラカワミユキもフォスターホースになった。



こんなにも辛い思いをし馬と向き合う人がいたんですね。たくさんのサポートが増えたのも沼田さんたちがずっと頑張ってきたからです。本当に頭が下がります。

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