引退馬たちのパラダイス!土佐黒潮牧場

2014年01月21日(火) 18:00

土佐黒潮牧場

土佐黒潮牧場


◆濱脇敬弘さん「みんなが一日一日元気で過ごすことですね。それが一番です」

 高知県にある、土佐黒潮牧場。ここは、引退した競走馬たちが穏やかに余生を送る、養老牧場です。どんな想いで牧場を始め、どんな想いで運営しているのか。場長の濱脇敬弘さんにお話を伺いました。

赤見:この牧場を始めて何年になりますか?

濱脇:ちょうど20年になりますね。もともと競馬好きが高じて始めたことなんですけど、いつか競走馬が余生を暮らす牧場を作りたいと思っててね。メジロマックイーンがダイユウサクに負けた有馬記念(1991年)を見てて、負けたマックイーンが夕日に映えた姿がテレビに映ったんです。『これは美しい』と感動して。それまで心の中にあったものが一気に爆発して、それで決心つきました。やるとなったら馬にかかりっきりになるわけだから、仕事も全部辞めて。決断というかヤケクソというかね(笑)。でも、牧場の場所を探すことだけで5年くらいかかりました。

赤見:ここは本当にいい場所ですよね。風が抜けるし、日当たりもいいし。

濱脇:恵まれましたよね。でも最初に借りた時には原野だったから(笑)。自分でユンボ使って土地から作りました。あの時59歳だったから、もう80ですよ。

赤見:80歳?!第二の青春を謳歌してるんですね。一番大変なことって何でしたか?

濱脇:まぁ色々あったけど、大変だとは思わなかったですね。自分で設計して、土地均して、厩舎作って、馬集めして…けっこう苦労しましたけど、まぁでも営利目的でやってないから。

赤見:資金面も、軌道に乗るまでは大変だったんじゃないですか?

濱脇:馬が集まらないから、自分で探しに行きました。まぁ自分がやりたくて始めたことなんでね。今はお蔭様で、会員さんの協力を得て運営してます。うちなんかは重賞勝ち馬が多いですから、JRAの助成金があることは有難いです。ただ、今は条件が変更になって、月3万円だった助成金が2万円になって、新しく申請出来るのは14歳以上の馬からとなったでしょう。この年齢制限は相当大きいですよ。14歳までどうすればいいんだっていうね。だから、助成金を当てにしている所は打撃だったと思います。うちは養老牧場ですから、見返りは一切ないですけど、会員さんは本当に馬好きな人たちが集まってますね。みなさんの想いだけですよ。

赤見:第一号の会員さんは、どんな経緯で会員になったんですか?

濱脇:兵庫の方でね、今でも遊びにいらっしゃいますよ。キッカケは、『こういう牧場を探してた』って、向うから連絡をくれたんです。インターネットが普及してない時代ですから、なかなか認知されるまでに時間が掛かりましたね。ちょっと認知され出したのは、ラガーチャンピオン(1993年セントライト記念)が雑誌で取り上げられてからです。そのお蔭で、ボチボチと連絡が来るようになりました。ラガーチャンピオンはうちの功労馬ですね。少しずつ馬たちが増えていって、カンファ―ベスト(2003年朝日チャレンジカップ、2006年関屋記念)の入厩以来、こちらから探しに行かなくても、馬が来るようになりました。

ラガーチャンピオン

お昼寝中のラガーチャンピオン

赤見:現在16頭フルで入厩していますけど、馬たちの中でボスはいますか?

濱脇:ボスはやっぱり、長く居るラガーチャンピオンです。威嚇する時はすごいですね。はしゃぎまくってるのがオースミダイドウ(2006年デイリー杯2歳ステークス)。もう放牧から馬房に帰る時にはしゃぎまくってますよ(笑)。最近来たマンハッタンスカイ(2008年福島記念)は大人しい子ですね。最初から何年も居るような顔してましたよ(笑)。チャンストウライ(2008年佐賀記念)も可愛い子です。けっこう気が強いですけど。走る馬はみんな気が強いですよねぇ。カンファ―ベストなんて、気が強いの典型ですよ。あと、エイシンガイモン(1996年,1997年関屋記念、1999年セントウルステークス)。すぐ噛みに来ますからね。最近は年取って穏やかになって来ましたけど。

マンハッタンスカイ

青草を頬張るマンハッタンスカイ

赤見:高齢になって来ると、世話するのも大変じゃないですか?

濱脇:そうですねぇ。年取って来ると、歯がガタガタしたりするので、食べさせるのに苦労します。乾燥牧草でも柔らかい部分を選んだり、食べやすいように細かく刻んだり砕いたりして、ご飯をあげるようにしてます。今はレットイットビー(1992年朝日チャレンジカップ)が一番高齢ですけど、まだまだ元気ですよ。

赤見:会員さんや馬主さんが会いにいらっしゃると思うんですけど、馬たちは覚えてますか?

濱脇:覚えてる馬もいますよ。昔よく面倒見てくれた人のことは覚えてるみたいでね、その人が来ると、ずっと目で追ってる馬がいます。一緒に居た時に、可愛がってもらったんでしょうね。馬は頭いいです。特に記憶力がすごいですね。

 うちに一番最初に入ったのはブルーシーズっていう馬だったんですけど、他に馬がいないから、淋しいだろうと思って夜遅くまで馬房に一緒に居たんです。本当に毎日ずっと一緒で。それで3か月くらい経って、他の馬が入って来たんですけど、他の馬の世話してると焼きもち焼いてねぇ。もう拗ねちゃって、他の人間が行けばすぐ来るのに、わたしが呼んでもこっち向かなくなりました(苦笑)。

赤見:いつ来ても、馬たちが穏やかな表情をしてるように見えるんですけど、ここに来るとみんなそうなるんですか?

濱脇:色んな方から、そういう風に言ってもらいますねぇ。けっこうみんなすぐに穏やかになりますよ。残念ながら亡くなってしまったけど、レジェンドハンター(1999年デイリー杯3歳ステークス、2003年全日本サラブレッドカップ)は来た当初は猛獣みたいでした。他の馬たちを睨みつけて、威勢が良かったんです。ここのボスになるかなと思ったけど、一週間くらいで穏やかになりました。賢い子でしたね。

 それにインターライナー(1995年日経賞)。この子もいい子でした。本当に明るくて、陽気で面白い子でしたねぇ

赤見:養老牧場を運営していくにあたって、一番大切にしていることは何ですか?

濱脇:みんなが一日一日元気で過ごすことですね。それが一番です。一日無事に終わるとホッとして。その繰り返しですね。わたしはこの20年、一度も休んだことないです。やっぱり、生き物相手ですからね。放っておいて、どっか遊びに行くわけにもいかないですし。

最近思うのは…、競走馬の命を助けたいという気持ちは、わたしも分かります。養老牧場を作ったくらいですから。ただね、引退馬というのは、見返りや生産性が一切ない世界なんです。その時の想いだけで命を助けても、結局続かないんですよ。その後何年も面倒見て行く場所や資金が必要ですから、ただ『殺さないで』というのは違うと思ってます。

ゴールデンメインと濱脇敬弘たち

左から、寺尾仁孝さん、濱脇敬弘場長、ゴールデンメイン、隅田あおいさん、濱脇由起子さん、濱脇郁子さん

お蔭さまで、うちはたくさんの会員さんやファンの方に支えてもらってますから、一日一日みんなが元気に過ごせるように、これからも運営していきます。

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常石勝義

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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