2016年07月02日(土) 12:00
娘たちばかり紹介し、親父さんのリポートがお留守になっていた。親父さんというのは、もちろん、スマイルジャック(牡11歳、父タニノギムレット)のことである。
前にスマイルに会いに来たのは去年の12月10日だから、半年以上のご無沙汰だ。
これほど間があいてしまったのは、忘れていたわけではもちろんなく、忙しかったからというわけでもない。今年はまだスマイルにお嫁さんが来ていない。よくない時期に会いに行くのは申し訳ないからと遠慮していたのが半分、会いに行きづらく感じていたのが半分、といったところだ。
しかし、そうした勝手な決め込みは誤りで、もっと早く来るべきだった――と、スマイルに会い、世話をするアロースタッドの人たちと話してつくづく思った。
6月30日、木曜日。道内の数カ所で真夏日になるほど暑い日だった。昼前、静内のアロースタッドに行くと、前にスマイルがいた放牧地には馬が入っていなかった。
――どこに放牧されているか、先に訊けばよかったかな。
と少し後悔しながら、
――まあ、でも、顔を間違えるわけがないから、いいか。
と奥へと歩きつづけた。
以前いたところからふたつ奥の放牧地にそれらしい馬が立ち、下を向いて草を食っている。顔を上げた。スマイルだ。
声をかけたわけではないのに、こちらに向かって歩いてきた。
久しぶりに会ったスマイルジャックは、自分からこちらに来て、扉の上から顔を見せた。
たびたび会っていたころ、あれだけ私を無視しつづけたスマイルが、自分から「ん?」という顔で近づいてくるのを見て、私は無沙汰を詫びたい気持ちになった。
しかし、半年やそこらですべてが変わるわけがない。少しの間、私の手の匂いをかいだり、噛みつこうとしたら、つまり、挨拶をしたら、またこれまでどおり、こちらには目もくれず、柵の下に生えた草を食べはじめた。
柵の下の草を食べる。食べているとき首や肩を撫でられると怒る。が、すぐ怒るのをやめて、また食べはじめる。
私に対してさえ、こうして覚えているかのような態度をとるのだから、小桧山悟厩舎にいた2007年の夏から川崎に移籍する13年の秋まで6年も担当していた梅澤聡さんや、ずっと稽古をつけていた芝崎智和さんを見たら、どんな顔をするのだろう。
そんなことを考えていると、隣の放牧地の馬が近づいてきた。頭絡のネームプレートを見るとアジュディミツオーだった。
スマイルが草を食いつづけているので、私は奥の放牧地を見に行った。そこにはレッドスパーダがいた。
――お前もスマイルと同じレースで走ったことがあったよな。
などと話しかけていると、やはり、引っ掛かった。放牧地の反対側にいたスマイルが、こちらに歩いてきた。現役時代、僚馬のベンチャーナインの馬房の前に人が集まっていると、スマイルは、立てかけてあった厩栓棒を倒して怒ったことがあった。こう見えて、案外ヤキモチ焼きなのである。
「お前、そいつと遊ぶぐらい暇なら、おれが話し相手になってやってもいいよ」とでも言いたげなスマイル。
その後、順光になる場所を探してスマイルの放牧地の周りを歩いているとき、あることに気づいた。扉から見て左奥の隅にボロが集まっている。スマイルは、そこをトイレと決めているのだ。現役時代も馬房のなかで用を足す場所が決まっていたと梅澤さんが言っていたのを思い出した。
こんなふうに、前のままのところもあれば、ずいぶん変わったところもある。アロースタッドでスマイルを担当する志賀美信さんは、担当馬を収牧するとき、いつもスマイルを最後にしているのだが、その理由が意外だった。
「ほかの馬を収牧していても、黙って待っていてくれるんです。先に入れるのは、早く帰りたがって走り回ったりする馬です。怪我をされると困りますから。ジャックは、ほかのことに気を取られず、周りに馬がいなくなっても動じないんです」
トレセンで馬場入りするとき、近くに馬がいないと寂しがって鳴いていた現役時代とは別馬のようだ。
志賀さんに馬体を洗ってもらったあと、つや出しスプレーでお洒落をする。
そんなスマイルを眺めていると、株式会社ジェイエスでアロースタッドを担当する松田拓也さんが様子を見に来てくれた。
「今でもファンの方がお守りや千羽鶴を贈ってくれたりと、すごく人気がありますね。プレゼントをいただくのは、この馬がうちで一番多いと思います」
と言う松田さんに、私が見てきた、浦河の三好牧場と、鵡川の上水牧場で生まれたスマイルの娘たちについて話した。
「小桧山調教師とは別の調教師さんが、長女を見て、『これ、いいね』と褒めていたらしいですよ」
「そうですか。産駒の評判がよかったり、レースで結果を出せば、種牡馬として盛り返すこともありますからね。ルースリンドはうちに1年いたあと、いったん種付けをやめていたんです。ところが、産駒のストゥディウムが去年の羽田盃を勝つなど活躍したので、今はイーストスタッドで供用されています」
「スマイルにもそうなってほしいですね」
「ええ。今年も、まだチャンスは残っていますからね。きょうはこれから、同じダービー2着馬のリーチザクラウンが種付けをするんですよ」
スマイルは、今も、これからも「種牡馬スマイルジャック」である――という当たり前のことを、好きだ好きだと繰り返している私は、もっと強調すべきだった。
今月、7月中旬からの一般展示でも、もちろんスマイルはここにいる。
6月6日に計測した馬体重は545キロ。非常に引き締まった体をしている。
いつでも種付けできる準備はできています、と志賀さん。
「シーズン前は体が硬かったので心配だったのですが、ロンジングなどで1カ月ほど運動をするうちにやわらかくなって、いい状態になりました。去年は、7月になってから種付けの申し込みがあった馬もいたんです。ほかの馬を付けてもとまらず、配合を替えて一発狙いたいという牝馬は結構いるので、そういうお嫁さんが来てくれないかな、と思っています」
種付けの申し込みに〆切はない。
遅生まれの活躍馬もたくさんいて、例えば、ダンスインザダークは6月5日生まれだ。種付けは今時分だったと思われる。
スマイルジャックは、この2016シーズンも花嫁募集中である。
お待ちしています。産駒には、もれなく私の応援原稿がついてきます。
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島田明宏
作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。 関連サイト:島田明宏Web事務所
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