続・大人の遊び

2013年11月02日(土) 12:00

 カモメは飛びながら歌を覚え
 人生は遊びながら年老いていく

 これは、寺山修司が1973年に出演したJRAのテレビコマーシャルで、寺山自身が口ずさんだ詩「遊びについての断章」の一節である。

 先週の天皇賞・秋の日、東京競馬場で行われた「REXS(レーシングエキスパートセミナー)」のパワーアップセミナーで、「寺山修司と競馬」に関する講座の講師をした。

 進行役を鈴木淑子さんが担当してくれたので、私がいつもの調子で脱線してもさり気なく元の線路に引き上げてくれたりと、さすがの手腕で助かった。戦前や戦後まもないころの競馬場はまだ鉄火場で、主催者の対応に不満を持った客がスタンドに火をつけたことが何度もあった――という話をしようとし、戦前や戦時中は馬が軍需資源だった話から馬政計画の話になり、それが前田長吉とクリフジの話になったころには、自分が何を言おうとしていたのかすっかり忘れていた。

 忘れてゆくことの幸福
 忘れてゆくことへの
 あきらめ

 こちらは、200万部を超えるベストセラー詩集『くじけないで』(柴田トヨ・著/飛鳥新社)所収「忘れる」の一節である。

 柴田トヨさんは今年1月、101歳で亡くなった。
 本稿が世に出る日49歳になる私は、トヨさんの半分も生きていない。言い方を変えると半分ぐらい若いはずなのだが、この詩集の瑞々しい言葉に触れると、物書きは年をとっちゃいけないな、と思わされる。

 年齢というと、30年前の1983年春に世を去った寺山修司は、まだ47歳だった。

 ――2年も余計に生きている私は何をやっているんだ。
 と、ため息が出る。

 さて、REXSというのは競馬初心者向けのセミナーで、時間と金に余裕のある退職した人たち、今なら「団塊の世代」より上の層が多いと聞いていた。ところが、10時半から12時までの午前の部、13時半から15時までの午後の部それぞれ70人ほど、計140人ほどの平均年齢は、それよりかなり低かった。

 どちらの部でも、まず最初に、寺山修司の本を読むなど、寺山作品に触れたことのある人がいるか訊いてみた。午前の部では女性がひとりだけだったが、午後の部では4、5人がサッと手を挙げた。

 当たり前だが、私が日本一寺山修司に詳しいわけではない。しかも、寺山を好きな人のなかには「ファン」という言葉では軽すぎるぐらい心酔している人がかなりいて、それも出版業界に多いものだから、私にしてみると、ヘタなことを言えない怖さがある。

 例えば、寺山が報知新聞(現在のスポーツ報知)に連載していたコラムの登場人物「フルさん」に関して、72年7月16日付のそのコラムに、

「フルさんはいまではターゲット・プロダクションの社長で」(原文ママ)
 とあり、ジャズやラグタイムという馬のオーナーだったことなどが記されている。

 そこに名前は記されていないが、関西の大手芸能プロダクション、ターゲットプロダクションの社長というと古川益雄氏である。

 にもかかわらず、「フルさん」は作家の古山高麗雄もモデルのひとりだと言う人がいたりする。私は見つけられずにいるが、きっとどこかにそうした記述があるのだろう。

 秋天の日の講座に関してはしかし、「寺山修司」という名前だけは知っているが、どんなことをしていたかはよく知らないという人が大多数だったので、話しやすかった。

 前回も記したように、作家の伊集院静氏が秋天表彰式のプレゼンテーターと、最終レース終了後、パドックで行われたトークショーのゲストをつとめられた。

 トークショーはメチャメチャ面白く、特に中盤以降は笑いすぎて腹が痛くなった。
 司会の杉本清氏が、競馬場にもっとたくさんのファンに来てもらうにはどうしたらいいか、といったテーマで前向きなコメントを引き出そうとしているのに、「競馬場に来るほうがどうかしているんだ」とか「60歳以上の人にお金をわたして、競馬場に来てくれって言えばいいんだよ」と、綾小路きみまろ的な毒舌で笑わせる。

「貯金なんかしてないで」と唐突に言って場内を沸かし、そこでいったん言葉を切って伏し目がちになり、次に何を言うのかと思ったら、

「わしは『ギンギラギンにさりげなく』の歌詞を30分ぐらいで書いて印税2億円もらい、それを競馬で3カ月で遣ってしまってね」
 と、また笑わせた。

 トークショー終了後、氏は、今回の「大人の遊びとしての競馬」を企画した東京競馬場の増田知之場長の案内で「寺山修司と虫明亜呂無の世界」の特別展をご覧になり、

「よくまとまった素晴らしい展示だし、これだけ書いた作家もすごいよなあ」
 と呟いた。

 そこに向かう途中、ふたりの女性客に握手を求められると、

「こんなところに来てないで、いいお嫁さんになりなさい」
 と彼女たちを喜ばせていた。

 帰りのクルマのなかで、
「時には母のない子のように……」

 と、寺山修司が作詞し、カルメン・マキが歌った曲を口ずさんだ伊集院氏に寺山と直接話す機会があったかどうか訊いてみたら、それはなかったという。

 その代わりというわけではないのだが、この日初めて知ったこともあった。氏は、漫画家の黒鉄ヒロシ氏らと一緒に、増田場長の岳父であり、「ミスター競馬」と呼ばれた故・野平祐二氏のお宅、いわゆる「野平サロン」に4、5回行かれたことがあるのだという。

 馬券は外れたが、楽しい一日だった。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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