菱田裕二騎手(3)『首の皮一枚でつながった夢“意地でも負けられなかった”』

2013年11月18日(月) 12:00

おじゃ馬します!プロのサッカー選手になる夢を一瞬で塗り替えてしまった“競馬”の存在。両親の目を盗んで競馬場に通い、人知れず体重管理にも励んだ菱田少年。その熱意に、反対していた両親も認めてくれることに。しかし、競馬学校生活は予想以上の厳しさ。そしてある時、学校から厳しい現実が突き付けられ…。(11/11公開Part2の続き、聞き手:東奈緒美)


◆「周りを見返したい」という一心で

:競馬学校での生活は厳しかったということですが、1年留年してるそうですね?

菱田 :そうなんです。僕、1年生を2回やってるんです。教官に呼ばれて言われるんですけど、「恐怖心が拭えてない」「プレッシャーに弱い」「技術が足りない」って、もうメタメタに…。

:進級できない理由を言われるんですか。

菱田 :はい。その時は、3人退学になったんです。僕を含めて4人が呼ばれて、3人はその日のうちに荷物をまとめてって。僕は4人目に呼ばれて、「あぁ、終わりや…」って思ったら、留年でなんとか生き残れたんです。そこからはもう、「周りを見返したい」という一心だけでがんばってきました。

:そこで、中井(裕二)君と一緒になったんですね。

菱田 :そうです、そうです。まあでも、僕はもう「中井達には絶対負けられへん」っていうのがあったので。

:中井君は「いつも菱田が1番で自分が2番で、絶対に菱田は抜けなかった」って言っていました。やっぱりそこはプライドですよね。

菱田 :そうですね。意地でも負けられなかったですからね。

:念願の騎手デビューを迎えて、1年目からすぐに活躍しましたよね。しかも、同期の中で最多勝利!

菱田 :でも、23勝ですからね。全然ダメなんです。30勝は絶対にしたいと思ってたので。23勝って、中井と一緒だったんです。2着の回数差で、僕が最多勝になったんです。

:それはかなりの接戦ですね。

菱田 :決まったのも(開催の)最後の最後でしたからね。最終日の前の時点で、確か・・・

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東奈緒美・赤見千尋

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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