森田直行調教師(1)『JRA史上初!厩務員から調教師へ、前例なきことへの戦い』

2014年05月05日(月) 12:00

おじゃ馬します!
2014年3月1日、晴れて新規開業を果たした森田直行調教師。石橋守調教師や飯田祐史調教師など、元人気騎手の開業が話題になる中で、森田調教師はまた違った注目を集めました。JRA史上初“厩務員からの調教師”誕生。厩務員の激務をこなしながら試験勉強に励んだ日々。と同時に、ガンと戦った奥様と二人三脚での挑戦でもありました。今月は、前例のないことに立ち向かった、森田調教師の生き様に迫ります。(聞き手:東奈緒美)


◆厩務員で受かるなんて自分でも思っていなかった

 森田先生が調教師試験に合格された時、「厩務員から調教師へ」と話題になりましたよね。厩務員さんから助手さんを経てという方はこれまでにもいらっしゃいましたが、ダイレクトにというのは初めてという。ずっと「調教師になりたい」という思いを持たれていたんですか?

森田 いやいや。正直、最初は全然だったんですよ。当時僕は、福島信晴厩舎で厩務員をしていましてね。同じ厩舎に、全国競馬労働組合から独立した「21世紀」という組合の西谷組合長という方がいたんですが、その方が若い組合員全員に「みんな調教師試験を受けてみろ」って。それで実際に受けたのが、僕だけだったんです。

 あれっ(笑)? じゃあ、厩務員さんをされていた時に「絶対に調教師になってやる」というような志だったわけでは…?

森田 ないですね。がっかりさせてしまいました? 僕、こんな性格ですからね。“栗東の高田純次”って言われていますよ(笑)。まぁ、厩務員で調教師試験なんて、誰も受けていなかったですしね。

 何で受ける方がいないんですか?

森田 厩務員だからってことで、「受けても無駄だぞ」みたいなことも言われていましたからね。昔、厩務員で願書を取りに行って、「お前、何しに来たんや」って言われた人もいたそうですよ。

 そんなことが…。でも、受けるのに資格って?

森田 もちろん、誰が受けてもいいんですよ。でも、そんな話も聞いていたもんですから、願書を取りに行くのも怖かったですしね。だから、まさか受かるなんて思っていなかったです。そんなでしたから、最初の3、4年は勉強もダラダラとしていましたよね。さすがに「このままでは仕方がない」と思って、本腰を入れて勉強するようになって。それで受かる事ができました。

 合格されたのが2012年の51歳の時、11回目の挑戦だったそうですね。それだけ長い間努力をし続けるって、なかなかできることではないと思います。

森田 どうなんですかね。ひとつあったのは、その時の公正室の室長が、僕の競馬学校時代の教官だったんです。試験に落ちれば次の年も公正室に願書を取りに行くわけですけど、辛い時にその方に相談したら、「調教師試験に受かるかどうかなんて、厩務員でも助手でも関係ないぞ」って言ってくれて。

 応援していてくださったんですね。

森田 そうそう。その言葉を聞いて、またヤル気になって。それで一生懸命勉強して、受かることができたんです。

おじゃ馬します!

▲東「周りからの応援の言葉でがんばれたんですね」

◆みんなの倍は勉強しないと…

 助手になられてから調教師へというのは、考えられなかったんですか?

森田 なんせ僕は、体重が重たかったですからね。多い時で70キロありました。昔は助手になるのにも体重制限があったんです。今は時勢に任せてなくなったんですけど、以前は年に1回面接の時に体重測定があって、規定は60キロだったかな? で、その制限がなくなって、オレンジ帽(調教厩務員)というのができて。僕も「自分で乗りたいな」と思って、福島厩舎の時にオレンジ帽になりました。

 じゃあ、馬に乗っていらっしゃったんですね。

森田 でも、30歳過ぎてからですからね。しかも、乗っていたのは3年間くらい。だんだんと体重が増えてしまって、調教師に「もう乗らんでいい」って(苦笑)。

 年を重ねると、体重ってなかなか落ちないですもんね。厩務員さんのお仕事は時間の拘束も長いですから、勉強する時間を作るのも大変だったんじゃないですか?

森田 1日10時間はしていたかな。睡眠時間は、1時間、2時間くらいで。

 えっ。それを毎日ですか?・・・

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東奈緒美・赤見千尋

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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