寺山修司をしのんで

2013年08月17日(土) 12:00

 グリーンチャンネルで8月22日(木)午後11時にオンエア(再放送も数回ある)される「寺山修司没後30年記念番組 競馬場で会おう」の制作が追い込みに入っている。

 私が番組ナビゲーターとして、生前の寺山と親交のあった人々を訪ねながら、寺山が日本の競馬界に残したものを掘り起こす1時間番組である。

 登場するのは、寺山を初めて競馬場に連れて行った山野浩一氏、騎手時代、寺山の取材を受けた柴田政人調教師と嶋田功氏、寺山がコラムを連載していた報知新聞のデスクだった若林菊松氏、寺山が亡くなる直前、テレビの皐月賞中継にゲスト出演したときスタジオにいた鈴木淑子さん、夫人の九條今日子さん、同郷の歌人・梅内美華子さん、そして、コラムの重要な登場人物である「スシ屋の政」の関係者……といった方々だ。

 競馬に関する文章を一度でも書いたことがあり、なおかつ48歳の私と同じか上の世代であれば、必ずと言っていいほど寺山の競馬エッセイを読んでいる。周囲が当然のように目にしているので、いかに寺山作品の模倣にならないかに気をつけなければならなかったほどだ。私が競馬を始めたときにはすでに亡くなっていたのだが、書いているときつねにそばにいるように感じていたのだから、大げさな表現になってしまうが、寺山は神に近い存在だった。

 私が早稲田大学を中退したのも、寺山の影響があってのことだった。在学中、いや、受験すると決めてから、

「早稲田は中退したほうが出世するんだよ。タモリ、大橋巨泉、寺山修司を見ればわかるだろう」
 と、いったい何人に言われたことか。

 私が中退したころはバブル期で、右肩上がりの成長神話がはびこり、何をやっても食って行けるとみなが信じていた。私も、

――「卒業」というブランドを平気で捨てられるヤツ、という意味で自分の評価になるかな。

 と考え、5年の前期という中途半端な時期にポッと大学をやめた。

 ところが今、20代や30代の人に「早稲田は中退のほうがいいって言われていたこともあるんだよ」と言うとビックリされる。私の学生時代は、稲門に無関係の人でも知っていたのだが。

 同様に、20代や30代の競馬ファンで、寺山を知らない人がけっこういることにもショックを受けた。

 私にしてみれば、同じもの(競馬)を見て、好きになっているのに、自分を生かしてくれた神様を知らない人に囲まれている、ということになる。

 まあ、空気や重力にしても、それがなぜあるのかを説明できなくても生きていけるわけだから、寺山を知らずに競馬を見ていても特に困ることはないのかもしれない。

 でも、そういう偉人がいたということを、今のホースマンや関係者を通じて知ると得した気分になるし、単純に嬉しくなる。

 今年、没後30年を迎えた寺山に関する演劇関連のイベントや展覧会などが各地で行われ、多くの若者たちで賑わい、いくつもの出版物が発行されている。亡くなって30年も経っているのに「モテ期」を迎えたすごい人が、競馬に関するエッセイや詩をたくさん書いていた――ということを、中堅の競馬ファンのひとりとして、多くの人に覚えておいてほしいと思う。

筆者の手元にある寺山修司の競馬に関する本や雑誌の一部

筆者の手元にある寺山修司の

競馬に関する本や雑誌の一部

 歌人、演出家、劇作家、映画監督、小説家、作詞家などとして、多方面で活躍した寺山修司は、1936(昭和11)年1月10日に青森県弘前市で生まれた(これは戸籍上の出生日で、実際は1935年12月10日生まれた、とする資料もある)。その寺山が、女優だった今日子夫人とともに山野氏に連れられ、初めて競馬場を訪れたのは、20代の終わり、1963(昭和38)年のことだった。もっと若いころから馬券を買ってはいたようだが、本格的にのめり込んだのは、実際に競馬場で馬を見たことがきっかけだったようだ。

 寺山は、「報知新聞」に連載した予想コラムなどに、「スシ屋の政」「バーテンの万田」「トルコの桃ちゃん」「フルさん」といった個性的な人物を登場させ、彼らとのやり取りを通じて馬に対する思い入れを表現したり、社会現象と競馬とをリンクさせたりしながら予想を展開し、人気を博した。

 なかでも「スシ屋の政」は、ほとんど毎回と言っていいほどコラムに登場する重要人物であった。柴田政人師が90年代に、寿司屋の主人に扮してJRAのテレビコマーシャルに出たことがある。また「週刊Gallop」で「寿司政」という対談コーナーを連載していたこともあり、それらはともに寺山の競馬エッセイの「スシ屋の政」のパロディである。

 ――その「スシ屋の政」にはモデルがいたのだろうか。
 ということも、今回のグリーンチャンネル特番で探ってみた。

 また、寺山の有名な詩「さらばハイセイコー」を、この番組のためだけに俳優・映画監督の奥田瑛二さんに朗読してもらうなど、豪華な演出もある。

 二枚目俳優として一世を風靡した奥田さんも、大学受験で上京したとき、後楽園周辺の人だかりを見て、

 ――お、ここで競馬をやっているんだ。

 と勘違いし、場外馬券場で帰りの新幹線代までスッてしまった、という筋金入りのギャンブラーでもある。

 私が初めて奥田さんと話したのは、今から20年前、塩崎利雄氏原作の『極道記者』が映画化されて奥田さんが主演することになり、雑誌「競馬塾」に掲載する塩崎氏と奥田さんの対談の司会・構成を担当したときのことだった。今回の朗読収録のネタにしようと当時の「競馬塾」を書棚の奥から引っ張りだしたら、同じ号に寺山の没後10年企画として、九條今日子さんと作家の石川喬司氏の対談も掲載されていた。これも何かの縁だろう。

 思いっきり手前味噌になってしまったが、今回の寺山特番、私も見るのを楽しみにしている。

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島田明宏

作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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